「ハンセン病文学全集」(皓星社)をすべての図書館に
               

            村井澄枝 

 私の趣味が俳句ということで、多少、文学の愛好者ということになるかも知れませんが、2002年から随時刊行されている、「ハンセン病文学全集」を読んでいます。

いま刊行が済んでいるのは、全十巻の内、
   第1巻 小説一
   第2巻 小説二
   第3巻 小説三
   第10巻 児童作品
   第4巻 記録・随筆
   第6巻 詩一
   第7巻 詩二
これら七巻です。

その中で、小説の部門では、風見治さんの作品にたいへん惹かれました。鹿児島の星塚敬愛園まで風見さんを訪ねたこともあります。

詩の部門では、北條民雄のいのちの友として、北條が日記に書いている、東條耿一の詩につよく惹かれました。全集には、たった三篇の詩しか掲載されていませんでした。その後、東條が入園していた全生園の図書館を訪ね、当時療養所内で月刊されていた文芸誌「山桜」などから、東條の作品を収集して、WEB版「東條耿一詩集」として、載せています。

 

ハンセン病については、病気のことも、らい予防法という法律があったことも、一般の人に、それほど周知されていないように思います。熊本裁判で、国の「らい予防法」という政策が誤りであったという判決が出て、初めて世にすこし知られるようになりました。一世紀に及ぶハンセン病に対する国の政策は、ハンセン病の治療薬ができた以後も、治療薬が出来る以前も、ほんとうは、ずっと、誤った政策がとられてきました。(判決では1960年以降が違憲ですが)そのことが、判決後設けられた「ハンセン病検証会議」の調査でいろいろ明らかになってきています。

ハンセン病は、毛が抜け、手足、顔の変形、これは外見上にみな現れ、その形相に健康者は驚かされます。後遺症がゆえに、いまも忌み嫌われているのだと思います。

しかし、ハンセン病は、貧困と社会の非衛生的環境で発生する病気です。そして、もともと、伝染力はとても弱い病気なのです。感染は、二,三歳までで、その後には感染しないのです。夫婦で感染した例が一件もありませんし、国立の十三療養所で、医療従事者に感染した人はいません。それでも、「らい予防法」は1996年まで存続し続けました。

そのことを、治療薬がない時代の戦前からすでに、指摘し、人道的に、隔離を反対をしていた医師がいたのです。しかし、日本の社会浄化思想が、ハンセン病患者を社会から追い出し、強制隔離をしてしまったのです。そういうことも、「ハンセン病検証会議」で明らかになってきております。

ところが、熊本裁判の、判決が下りても、なお、黒川温泉、アイスターのホテルのように、ホテルが宿泊拒否をするようなことが起きています。そして、そのアイスターのとった宿泊拒否が正しいというような、それを支持する人たちが、菊池恵楓園に嫌がらせの電話や手紙を多数寄せています。療養所は、こうした社会の厳しい目に、新たな悲しみを募らせています。

ハンセン病元患者さん達への、差別・偏見の社会の目は、何も変わっていない、差別・偏見はなくならないのでしょうか?

 

隔離された患者さんは、療養所の中で、それぞれ生きる証しを求めるように、自分の存在を確認するように、ある人は盆栽に、ある人は農耕に、ある人は文学に打ち込みました。

特に、文学は、どこの療養所でも熱心で、おびただしい量の創作・詩・俳句・短歌・評論・随筆などがが残っています。それらは一般社会にほとんど出ていません。それらを収集、編集したのが、皓星社の「ハンセン病文学全集」です。

 

それに載りました東條の詩を引いてみます。 

  一椀の大根おろし

               東條耿一

  初夏の宵なり
   病み疲れた寝臺に起出でて
  ほろ苦き一椀の大根おろしを喰らふ
  肌あらき病衣に痩躯を包み
  ぼつたりと重き繃帯に(フォ)(ーク)を差込み
  わたしはがつがつと大根おろしの一椀を喰らふ
  思へば病みてより早や幾とせ
  げにこれまで生きながらへて来たるものかな
  一驚を喫す 一驚を喫す
  見よ、己が姿(かげ)
  而して思ひをなせ
  日夜 病菌の裡に住へど
  かくいのちの在るは嬉しからずや
   貧しき一椀の大根おろしを愛ずるは幸ひならずや
  われとて何時の日か
  父の御許に帰り行くらん
  なべてはそれまでの愛の十字架
  ああ忘れ得ぬ人の世の一事ならずや
   さらば 喰らはん 餓鬼の如くに喰らはん
  大根おろし 大根おろし
  涎と汁とそして涙と

  ああ初夏の宵の一椀の大根おろし・・・・・

 

東條の詩は文語で書かれていますので、すこし固い感じがします。ほかの人の詩も紹介してみたいと思います。

 

     孤冬
          坂井新一

  こんなにも
  静寂りかへつた冬朝
  しんしんと身に喰ひ入る
  この冷たさはどうだ。

  からりつと
  晴れ渡つた空にも
  憂愁の翳はあるのだろうか
  沓々、山脈の端に
  わびしい雲が動いてゐる

  あ丶遠く離れ住む恋人よ
  あつたかい便りをくれないか。

 私は、こうした作品を読むことにより、ハンセン病の方々の痛みを、想像を持ってですが、具体的に知ることが出来ると思います。

そして、作品に心通わせ、感動すること、そこから、その作家への敬意が、偏見や差別に対して、そういうことがあってはいけないことという思いを生み、差別、偏見に目覚める第一歩になるのではないでしょうか?

  

「ハンセン病文学全集」(皓星社)は、刊行まで準備に10年を要し、意義深い出版物だと思いますが、これが朝日新聞の平成1612月5日の記事(添付)に取り上げられたように、昨今の図書館事情、貸出率という本の効率性の考え方が優先され、公共図書館に 購入が進んでいません。

貸出率というものを、反映しない性質の本というものもあるのではないでしょうか。

一九九六年に「らい予防法」は廃止になりましたが、その法律があることも、療養所に強制的に隔離されている人が居ることも、多くの人は知らずに来たと思います。ハンセン病の患者さんを社会から追い出して、彼らの不在の町に、私たちは無自覚にも暮らしてきたのでした。

わたくしは、このハンセン病の歴史が、社会の、ノーマライジェーションの考え方の正しことの、根拠になるものだとおもいます。

 

療養所に強制隔離され、言われなき偏見と差別の中で、必死に、より良く生きることを模索した人々、多くは故人になりました。彼らの書かれたものから学ぶものは計り知れないものがあるように思います。すべての図書館にハンセン病コーナーが設けられ、そして、「ハンセン病文学全集」が置かれ、こころある人の手に取られ、ひとりでも多くの人に読まれることを願います。