季・うつろう時 @ 「時の重み」 2005.5.25


私は、戦後生まれですが、戦後はすでに60年を過ぎようとしているわけですね。戦前と戦後では社会制度が大きく変換をしました。療養所の中も、らい予防法は戦後も残ったけれども、生活は大きく変化しました。文学は社会を映す鏡だと良く言われますが、生活が変われば自ずと文学も変化する。風見さんは、完全に戦後の作家です。ハンセン病文学全集の小説の部では、風見さんは、他の作家と明らかに違っていた、戦前からの作家の小説はモノクロ的イメージがありますが、風見さんのそれは、カラーの色彩、色が付いたようなイメージがあります。同人誌「火山地帯」で皆さんから若い風見さんは「ホープさん」と呼ばれていたらしいですが、その風見さんも齢73歳である。歳月茫々という感がします。

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季・うつろう時 A 「散歩」 


いつもながら、風見さんの、風物の描写は鮮やかですね〜 
小綬鶏という鳥は、棲む環境で違います、堂々と姿をみせて歩き回ったり、よく通るその鳴き声だけでけっして姿をみせなかったりするように思う。我が家の前ある木立にも小綬鶏が春になると鳴き始めますが、けっして姿をみせない。しかし、私の散歩する谷戸の静かなところでは、風見さんが書かれているように、小綬鶏がゆったりと道を横切っていくのを見かけることがあります。

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季・うつろう時 B 「親のきもち」2005.6.13


この短いコラムの字数では、書ききれない風見さんの深い思いがあります。
風見さんは、20歳で菊池恵楓園に入られます。それは、ここに書かれている父親の目を隠れて、ご自身の意思で昭和27年に療養所へ入られるのです。
風見さんは、「このまま死にたくなかった」とだけ仰っておられましたが、ハンセン病の治癒がなされた後ずっと、なぜ父親は自分を療養所に入れなかったのだろうか?という思いに深く悩んでおられました。それは、親子の関係では子供の思いですね。
ムンクと一緒に暮らされながら、父親の気持ちを、風見さんは探っておられるのだろうと思います。

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季・うつろう時 C 「メジロが来ない」2005.6.27


星塚ではメジロがいなくなったのですね・・・どこに原因があるのでしょうか?よく分かりませんが、横浜の我が家では、まだ、メジロを見かけることが出来ます。庭の主木が梅の木なのですが、梅が咲きますと、メジロが群れてやってきます。メジロと雀は一緒に庭に下りますが、鵯が庭にやってくると、メジロは姿を消します。ほんとうに愛らしい鳥ですね。
風見さんは、メジロへの思い入れが、少年期からのこともあって、深いものがあります。さぞがっかりされておられるでしょうね・・・、メジロの飛来は復活できないものでしょうか?

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季・うつろう時 D 「酒場にて」2005.7.5


風見さんは、長崎で風見さんの絵画の展示が開催されたりしたことがありますが、まだまだ、実家にはご両親、実のご兄弟がおられませんので、らい予防法が廃止になっても、ご実家に足を踏み入れておられないようです。
風見さんは、ハンセン病検証委員会の報告に充分ではないという意見を持っておられます。市民的な偏見の感情が無くならないかぎり、ハンセン病回復者の方々は、晴れ晴れとした思いにはなられないでしょう。風見さんの小学校5年生で終わったという小学校の同窓会が風見さんを交えて集うことが出来たら良いのに・・・

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季・うつろう時 E 「絵画クラブ」2005.7.14


この絵画クラブの様子は、ETV2003に映っていました。
風見さんの信念が、「人はいろいろ困難な状況にあっても、そこから多様な可能性を見出していける存在だ」というここによく出ています。
風見さんの文学にそれはよく反映されています。ハンセン病の、どの作家にもない自由さ、それは、この信念が支えていました。

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季・うつろう時 F 「文庫本」2005.7.20


太宰治に傾倒されていたのですね、表現がどこか似ているところがあるかも知れません。風見さんの小説「不毛台地」「スフィンクス」は太宰治の影響によるものでしょうか?
風見さんは、若い頃ずいぶん女にもてたのでしょうね。電話で話していても会話がとても楽しいですね。
ここに出てくる看護婦さんは、「絆影」の看護婦さんとは違うようです。「風見治」というペンネームは、そんな中で生まれたのですね・・・、私には、「ただ字を並べただけよ」って仰っていましたが・・・

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季・うつろう時 G 「晩酌」2005.7.26


愛飲家には、酒に纏わる苦い思い出が誰にもあると思いますが、風見さんのこの思い出は、堪らなく重いですね。
母親の「死んでからでも帰ってきて一緒に入ったらよかじゃなかね」というのに、反発して「死んでから帰ってきても何するとね」と言ったわけですけれど、そう言わなかったら、母親はどうしただろう。
人間は弱いものだと思います。言葉によって、意思を強くすることがあります。風見さんの母親は、息子が反発して言っているのだと思っていても、「何するとね」とそう聞くと、そこまで諦めが出来ているならばと、墓碑に名前を刻むことを、強く跡を取った息子に言い通せなかったのではないでしょうか。老いた女の母親という立場は、気兼ねも多く、弱いものだと思いますから。そこも風見さんとしたら理解しておられるのでしょうが、なお、割り切れない思いをどうすることも出来ないで、酒を飲まれているのでしょう。
もっと、楽しい酒を飲んでいただきたいけれど・・・

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