「山桜」発刊の辞   

栗下信策

「去る大正2,3年頃でありしか、院長殿が、風呂場にて、大風子注射を遊ばしながら、何か院内で善き事を記載する新聞の如き物でも作ってみるか、或いは、院内の数カ所に掲示板の如き物を作りて是に珍しきことを事を掲示したらどうかなどと、お噺しがあった。

其当時、石川三之助氏に、編集をなし、刊行して呉れなどと、相談した事もありましたが、何分一人や二人で、数部の物を清書し、且つ用ずる筆墨紙なとの経費の関係もあり、遂に成り立たず、其儘過ぎて今日に至ったのでありますが、自分は、其後何とかして簡易の印刷機を手に入れて、我等が此の狭き天地にあって、想海広き文筆を楽しみ、情操向上を計り、思想界に活躍を楽しまんとて、年来、其の機を待って居った処、天なるかな、其の助けを給うて、此の謄写版を得て、其の喜びは、譬ふるに物かないのであります。是れ偏に、他力の御恵の然らしむる処と・・・・」

「本誌を名づけて山桜と云う。山桜、山桜、桜は花王日本魂の表章である。我が故郷は深山幽谷である、然るに或場所に不動の滝と云う幾有尺の滝がある、其の滝は夏の土用にも寒さを感ずる、此の滝に数百年を経たる山桜が一本ある、其れが四月中旬頃になると実に 美しい花が咲く。此の山桜は、四五里を隔たる山の峯々よりよく見える中々其の木の許へは鳥の翼を以てしても至難である位の難所であるから人足の到底行くべくもない。然し此の山桜は唯一人平然として何をもかこたない又恨みもせない、天の時来ぬれば花開き時来れば里人の惜しむも待たず散りぬ。何時しか昨日の姿は消えて雑木の其れと見別けもつかぬ其の風情は世塵を完く脱かれて天然自然を楽しむものの如し。噫々此の清き山桜よ我又幾程もなき余生をして少くとも是れにあやからんかな、故人の歌に

   もろともにあわれと思え山桜

        花より外に知る人そなき

我等は此の境に安じて相共に相睦み合い相助けあいて第二の一家を作り、喜々靄々たる声跡を載するのが本誌の使命であり又生命である。」

                大正八年四月

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POEM AND CRITIC石器 創刊号
国立療養所詩人連盟刊、1953年9月25日印刷、1953年10月1日発行 より

 創刊の言葉 〈厚木 叡〉
 全国の国立ハンゼン氏病療養所の詩人六十名が、こんど相集つて詩誌《石器》を創刊することになつた。誠に貧しい、ささやかな形ではあつても、ながい間僕たちが抱きつづけて来た希いの実現であり、何よりもうれしい。僕たちは日本列島を北から南に遠く散らばつた療園に病いを養つており、一堂に顔を合せて話し合う事など望むべくもない情況に置かれているが、深い生の親和感が僕たちを結びつけていることを知つており、その親和感の結晶としてここに詩誌《石器》の誕生を見た。
《石器》は、芸術上あるいは思想上の一つの立場、一つの主張によつて結合した同志的ギルドではなく、あくまで自由な、さまざまの傾向の詩人を包含した、すがすがと風の吹きとおる《場所》でありたい。《石器》はその名の通り、《はじめ》であり、混沌未分の《形象》であり、すべてのものが其処から出発してゆく《始源の器》でありたい。
 詩誌《石器》は、さしあたり僕たちハンゼン氏病療養所の詩人ばかりで形づくられたが、それのみに狭く限定するものでなく、あらゆる人の前に開かれ、詩による友情の手を待つていることを告げたい。そして又、療養所の中、僕たちの周囲にあつても、とりわけこれから《詩》に目を開き、手を染めようとする、若い人たちに参加してもらいたく希つている。歴史が嗣がれ、生命が更新してゆくのは常にそのような未知の、若々しい魂の、ためらいがちな手によつてであるから。
 現実の日本の情況は益々暗く閉され、いびつに傾動してゆくが、僕たちの《石器》は希望を喪うことなく、閉された壁に窓を掘り開ける《石の鑿》であり、また、傾動に抵抗し、人間の自由と生命と美を歌う《石の琴》でありたい。

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 「火山地帯」

発刊の辞

                          島比呂志

昨夜は待望の雨が降つて、きようはどこか秋の訪れを感じる立秋である。月日の経つのははやいものだと、つくづくと思う。

同人雑誌を出そうという話が出たのは、まだ桜のつばみも固い早春のことではなかつただろうか。それから何回かの準備会議が開かれたが、話は容易に進まず、一時は沙汰やみになるのではないかと思つたりした。このように話が足踏み状態になつた理由は、第一に金が集るかどうかの見透しが立たなかつたことと、第二に同人雑誌にふさわしい作品が書けるかどうかが危ぶまれたことであつた。しかし、いまこうして創刊号を出すことを思うと、案ずるより産むが易しということになりそうである。とにかく金の見透しもおよそついたし、また作品もいちおう集つてこんなうれしいことはない。初秋を思わせる涼風とともに、わたしは何ヵ月ぶりかで解放された感じである。

しかしながら、解放感の心よさは秋の涼風にも似て、どこか心細く、うつろで、わびしい感じがする。それは作品を書き上げたときの空しさにも似ている。そこにいるわたしは、孤独で、不安定で、いまにも奈落の底に落ちそうな危機感に包まれている。人間はいったいなんのために生きているのだろう。そんな疑念が脳裡をかすめる。生の果てには、黒い手をひろげて死が待つている。そんな生になんの目的があるだろう。たしかに、目的などありはしない。しかし、なぜかわたしたちは死を好まないし、もし死が自分を奪つたとしても奪い去られることのない分身を残したいと念願せずにはいられない。それが叶わぬとしたら、せめて一ミリでもいいから死から遠ざかりたい。危機感から離れたい。そんな気持から、わたしは墓石を建てつづけて来た。ささやかな文学というには羞かしい墓石のいくつかを……

ところが、わが同人諸氏は火山を爆発させて、地球を変形させ、そこに巨大な文学碑を建てようというのである。宇宙に地球が存在するかぎり、何人も奪い去ることのできない山のような塔を建てようというのである。「火山地帯」と名づけられた所以である。

やがて、ジャーナリズムや文壇の隅々まで、わが「火山地帯」の鳴動がとどろいてゆくことだろう。このおおそれた鳴動に、作家や批評家の先生方は眉をひそめるかも知れないが、わが同人諸氏の偉大なる徴志に御同情の上、御批評御指導を賜りたいものである。

       昭和三十三年(1958)九月一日 発行

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  「山椒」

     発刊の辞

 裏箱根丘陵の雑木林の中を歩いていると、いたる所で山椒の灌木を見ることができる。秋も深まっていく頃、小さな実は底抜けの蒼穹に向かって「ピンポチ」と威勢よくはぜることだろう。そして「山椒は小粒でぴりりっと辛い」と得意然とするであろう。然しそれは人間が採集し味覚にのせた場合のみに言えることで、裏箱根に野生する山椒は誰も採集はしない。やがて吹き荒れる木枯らしに葉は叩き落とされ、無限の大地の中に吸収されてしまう。トゲだらけになった冬の山椒には野兎すら近寄らない。人間の眼には寂寞とした非常の風景だけで、山椒は意識の中にすらなく忘れ去られてしまう。五人の同人は山椒の実のように小さいが肩を張って頑張っている。そして人間をぴりっと刺戟する山椒の実のようになりたいと。

                     1964年正月     小泉孝之

五人は、 小泉孝之  牧爽太郎  夏原公也 上村真治 都波 修 の五氏。 

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(らい詩人集団発行『らい』創刊号(1964年9月発行)巻頭ページより)

 「宣 言」

一、私たちは詩によつて自己のらい体験を追及し、また詩をつうじて他者のらい体験を自己の課題とする人々を結集する。

一、私たちは、私たちの詩がらいとの対決において不充分であり、無力でもあつたことをみとめる。なぜそうであつたかの根を洗いざらし、自己につながる病根を摘発することから、私たちは出発するだろう。

一、私たちは対決するものの根づよさをようやく知りはじめたところである。それは日本の社会と歴史が背負つづけた課題とひとしいものである。だから私たちはらいに固執するだろう。なぜなら私たちじしんの苦痛をはなれて対決の足場は組めないから。

一、私たちの生の本質と全体性としてのらい、との対決への志向が、集団の最底限の拘束である。サークルと詩誌をその拠点としよう。

  一九六四年八月                        らい詩人集団

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 「同人名」

北河内 清(星塚敬愛園)        せいすみお(長島愛生園)
つきだ まさし(星塚敬愛園)       水島 和也(長島愛生園)
西原 桂子(菊池恵楓園)        黒田 淑隆(邑久光明園)
中石としお(大島青松園)        谺  雄二(栗生楽生園)
沖  三郎(長島愛生園)        小林 弘明(栗生楽生園)
小泉 雅二(長島愛生園)        高田 四郎(栗生楽生園)
しまだ ひとし(長島愛生園)       福島まさみ(松ヶ丘保養園)
島村 静雨(長島愛生園)


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