夕雲物語  其の二

  落葉を踏んでふたりは歩みました。やはらかに肩を組合つて愉しいのでありました。さうして天の刑罰でこんな病に()つたのだとは少しも思はないのでありました。二つの魂が歩む度に、落葉が小さな旋風をあげて足下を駈けまわつてゐました。空は痛いほど青く澄んで、すつかり坊主になつた林の向うから犬が啼きました。それが空の中で啼いたやうに思はれるのでありました。

 わう、わう、わう、ばう・・・・・

 男は口をすぼめて啼真似ながら、林の向うへ挑むのでありました。それは空の青に皹がはいるやうに思はれました。すると、林の向うからは前よりも激しく食つて掛るのでありました。それはどうやら空から落ちてくるやうでした。

 わう、わう、わう、ばう・・・・・

 男は面白くなつて、負けずに林の向うへ啼き返すのでありました。それはやつぱり空の青に皹がはいるやうでした。―あなたお止しなさいよ―女は微笑みながら、林の向うへ首をかしげ、男の肩をそつと抓りました。男の啼声が早くなると、林の向うでも早くなりました。林の向ふから思ひ出したやうに飛んでくると、男の方でも急いでそれに相槌を打ちました。さうして女の間のびた足が、道端の堆肥を丁寧にさらつた時、始めて男の啼声が途中でひつ切れました。その煽りで、落葉がながいことふたりの周囲をくるくるくるくる廻つてゐました。女は美しい盲でありました。詰らなくなつてやめたのか、林の向うは静かになつて、いつの間にか、皹のはいつた空から、美しい夕雲が覗いてゐるのでありました。

 

(昭和十三年「山桜」十月号) 

 

私が、東條耿一詩集を編むきっかけになりました詩です。

  落葉を踏んでふたりは歩みました。やはらかに肩を組合つて愉しいのでありました。さうして天の刑罰でこんな病に()つたのだとは少しも思はないのでありました。

 

男と女の二人連れが、晩秋の小道を散歩をしているという場の設定です。

まず、「歩みました」「ありました」という、このゆったりとした韻律が、読者に、しっとり、言葉が胸に落ちてきます。

 二つの魂が歩む度に、落葉が小さな旋風をあげて足下を駈けまわつてゐました。空は痛いほど青く澄んで、すつかり坊主になつた林の向うから犬が啼きました。それが空の中で啼いたやうに思はれるのでありました。

      わう、わう、わう、ばう・・・・・

 

まず、犬の啼声が聞こえてくる。

 

     男は口をすぼめて啼真似ながら、林の向うへ挑むのでありました。それは空の青に皹がはいるやうに思はれました。すると、林の向うからは前よりも激しく食つて掛るのでありました。それはどうやら空から落ちてくるやうでした。

     わう、わう、わう、ばう・・・・・

男は面白くなつて、負けずに林の向うへ啼き返すのでありました。それはやつぱり空の青に皹がはいるやうでした。

 

その後に聞こえてくる犬の啼声は、男自身の、犬に真似た声の谺なのではないでしょうか。

谺が、喰って掛かるようだったり、思い出したように飛んできたり、谺って時にこのように聞こえることがあるように思います。それにしてもこれは相手のいない一人の世界、意識だけのひとり相撲の世界でしょう。療養所の中で、精神の葛藤の中にいる作者を象徴する景なのだろうと思います。

ここの、「空の青に皹がはいるやうに思われました」の「皹」は、空気の澄んでいる様子として、うつくしく感じられますが、皹は、作者である、癩者の悲しみの表現でもあるでしょう。

谺にむきになって、男が「わう、わう、わう、ばう」と返しているのは滑稽です。自分をユーモアを持って風刺しているのです。

 

さうして女の間のびた足が、道端の堆肥を丁寧にさらつた時、始めて男の啼声が途中でひつ切れました。

 

ここが、何と言っても、悲しい。

「間のびた足」というのは、足が滑って、のびた足なのでしょう。女は目が見えないから、堆肥に足を掛け転んでしまったのです。

「堆肥を丁寧にさらつた」のですから、完全に尻餅をついてしまったのでしょう。

「男の啼声が途中でひつ切れました」、男も、あっと一緒に転んでしまったのです。

 

その煽りで、落葉がながいことふたりの周囲をくるくるくるくる廻つてゐました。女は美しい盲でありました。詰らなくなつてやめたのか、林の向うは静かになつて、いつの間にか、皹のはいつた空から、美しい夕雲が覗いてゐるのでありました。

 

堆肥が、見えないばかりに踏んで、足を取られ転んでしまった。その二人の寝転んだ体の上を、乾いた落ち葉が無常にも舞う。こだまは途切れ、物音がしない上に、夕雲が茜に美しく染まっているのです。

なんとも悲しい、あわれな詩です。しかし、美しい。美しい景が描かれています。

戦前の、癩者の苦悩が筆舌し難いものであっただけに、その苦渋に拘泥しない、東條の描く美しい景に心打たれます。そして何より、詩の底に流れる静謐な空気に、東條の強い精神力を思わないわけにはゆかない。

 

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