夕雲物語

リノリウムには先刻から朝日が溜つたり跳ねたりしてゐるのに、いくら揺り起してもお父さんの返事がない。よつぽど眠いのだらう。と暫く枕頭で待つて.ゐると、附添夫は黙つて眠つてゐるお父さんを擔荷に乗せ、解剖室へ連れて行ってしまつた。一體なにごとが起きたんだらう、と蟻子は小さい胸を痛めたがいつの間にやら忘れて遊び呆けてしまつた。夕方になつて不圖思ひ出し、解剖室へ行つて重い扉の隙間からそつと覗いて見ると、確かに台の上に寝てゐた筈のお父さんの姿が見えず、そのかはり片隅に白木の大きな箱がちよこなんと坐つてゐる。それならきつと何處かへ用事に行つたんだらう。とその日は帰つて寝てしまつた。

 翌る朝。お父さんのお骨上げですよ。.と保母さんに連れられお友達と一緒に來て見たが、火葬場にもやつぱりお父さんの姿は見えない。さては厠の中へでも墜ちてゐるのか知ら。と尠からず心配した。見ると保母さんもお友達もみんなしくしく泣き乍ら灰皿のきれいに焼けた骨がらを拾ってゐるので、ではお父さんは本當に死んでしまつたのかも知れない。と始めて悲しくなつたが、心の中ではきっと何處かに隠れてゐるに違ひない、さうして不意にわたしを、吃驚させるお積りなんだわ。と考へられ、手にする骨がらも貝殻のやうに美しく見えてくるのだつた。

 帰つてから病室の厠の中も捜して見たが墜ちてはゐない。これはいけないぞといよいよ心配になり、それからは思ひ出す度に病院ぢうを.尋ね廻るのだつたが、お父さんは何處にも見えず、彼女はしみじみひとりぼつちになつたことを感じ、淋しくなるばかりであつた。

 ある日。望郷台へのぼつて西の空いつぱいに流れてゐる夕雲を見てゐると、雲の形がさまざまに變つてゆくので、すつかり面白くなって見惚れてゐた。仔どもを抱いたヒグマになつたり、お伽噺に聞いた海の中のお城に見えたかと思ふともう青い堤の向うに耳だけ出して隠れたつもりでゐるらしい兎になつたりした。はては人の様になり、優しい眼まで出來てそれは次第に誰かの顔に似て來た。蟻子は思はず、お父さんだ。と叫んで、まがつた指も伸びてしまふほど空いつぱいに両手を上げた。雲の中に隠れてしまつたんだもの、いくら尋しても分らない筈だつた。と思ひ、それにしてもどうしてあんな所へ行つてしまつたのだらうと不思議になつた。すると、急にお父さんとの間に遠いとほい距離を感じ、お父さんのバカ、お父さんのバカ。と小さく咳いた。あまつさへはるか彼方の山脈の上に一つ星がきらきら耀きそめると、望郷台にはせうせうと冷たい風が流れ出し、やうやく見つけたお父さんの姿も見てゐるうちにひつそりと灰色の闇の中に沈んでしまつたので、蟻子はとうとう聲をあげて泣き出した。
                      (昭和十二年「山桜」十月号)



父親の死を、実感として受け取ることの出来ない少女の様子が、まるで、童話のようです。重ったるい情に凭れないで、抽出したような純粋なこころ、背景の情景に少女のこころを絡ませて、詩になっている。その少女のこころがあまりに無邪気でとても美しい。

   よつぽど眠いのだらう。
   それならきつと何處かへ用事に行つたんだらう。
   心の中ではきっと何處かに隠れてゐるに違ひない、
   これはいけないぞといよいよ心配になり

   いくら尋しても分らない筈だつた。

私は、東條の作品では、「夕雲物語」、「散歩」などの散文詩が、好きです。
東條が療養所に入るまでの歳月に、どれだけ悲惨な思いをしてきたか、それを思うと、その生い立ちに汚れることなく、ここまで清明な詩が描けることに驚きます。ひとえに、15歳の時、たった8ヶ月間でしたが過した神山復生病院の経験がこうした美しい詩を書かせているのだと思います。
つーんと悲しい、切ない詩である。



  
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