散 歩

踏んでしまふには惜しい嫩草。病院の垣に添ふて行くと微風まで青い。一寸伊達巻にでも巻いて見たくなる青空。雲雀の唄が幾つでも(こぼ)れて來る。小川(せゝらぎ)は無いけれど、何處かでひつそり透蠶の()れる音がする。

GOSTOPのやうに氣取つて大きく手をひろげてゐる蜘蛛の巣。ちよいと啄ばんでしまつた愛らしい存在よ、殺さうと生かさうと私の思ひのまま。けれど私は寛大主義者(リベラリスト)、愉快に散歩しなければならない。  ふうつと吹飛ばすとくるくる舞つて行く小さな生命。私のやうに

道端の破損(こわ)れた淡暗い小屋を覗くと、泥土(つち)に塗れてこつこつ骨甕を造つてゐる人。こちら向いたら、どすとふすきいのやうな瞳。傍に積まれてある骨甕にゆくりなくも泛んでくる幾つかの面影。ぶううんと匂ふ静寂を私はこよなく愛する。
 

道は白く息づいて何處までも續いてゐる。空ばかり見てると、ひつそり翔ける銀の馬車があるやうで私はふと目許に妖精(フエヤリー)の長い睫毛を感じる。チラッと傍らを掠めて行くセルの明るい緑色。春は何處かにミレーのやうなペインターを隠してゐるに違ひない。

(昭和十一年「山桜」六月号)


これが東條の散文詩の始まりでしょう、いいですね。東條の詩の魅力がふんだんに表出されていると思います。失明してからは、止むをえないことですが、詩の世界が小さくなります。この詩は、そういう意味では、東條は、全生園に入って詩を書き始めたようなので、詩の表現を確立し、目もまだ不自由ではなく、この頃が、東條の生涯を通して最も詩の魅力的な、よい時期にあたるようにおもいます。
私の最も好きな節は、

GOSTOPのやうに氣取つて大きく手をひろげてゐる蜘蛛の巣。ちよいと啄ばんでしまつた愛らしい存在よ、殺さうと生かさうと私の思ひのまま。けれど私は寛大主義者(リベラリスト)、愉快に散歩しなければならない。  ふうつと吹飛ばすとくるくる舞つて行く小さな生命。私のやうに

東條には珍しい、
私は寛大主義者(リベラリスト)、愉快に散歩しなければならない。
と、とても軽やかです。
東條は、癩を発病し、捕まえられるように、療養所というところに放されたわけです。
ふうつと吹飛ばすとくるくる舞つて行く小さな生命。私のやうに
蜘蛛の小さな命との交感が感動的です。
散歩に、骨甕を造っている人に会います。
どすとふすきいのやうな瞳
ドストエフスキーってとても悲しい眼をしているのですね。
         
東條は、骨甕を造る人に託して、ドストエフスキーの人と作品を好きだといっているのだと思います。
最後の節は、妻となる文子を詠んだものでしょう。
ひつそり翔ける銀の馬車があるやうで私はふと目許に妖精(フエヤリー)の長い睫毛を感じる。
文子さんは、ひっそりした方なのでしょう、長い睫を持っておられたのでしょうか?
文子さんは、全生園の記録には、全く残っていない、不明の人です。ご両親が足繁く全生園に来ていたのに、これは不思議なことです。私の想像ですが、文子さんはたいへん当時の家柄がよく(光岡良二の「いのちの火影」に文子さんのことが少しだけ書かれていますが、近代女性史に残る血筋・・と家柄のよいことが書かれています。)、癩の発病をしたので、治療のため入園をしたけれど、亡くなってからその痕跡をまったく消されてしまったのではないでしょうか。

ひとりの散歩だけれど、東條にはまだ希望がある、明るい散歩をしています。



  ← 戻る


top page