大境の子守唄 

終日―――

病金魚の如く寝台に浮かべば

郷愁は疼く病胸を貫き

ふかぶかと克明の死脈を越えて

おゝ、流れて来る子守唄がある。

白壁に冬蝿は不動と合掌し

晩鴉は枯木に苛苛と祈れど

嗚呼、蒼白の輪燈は

光明無明の大境に明滅し

  凛、凛と空中に映へ

  地下に響きて

  父ならず、母ならず

  将又、祖先にあらず

  聴こえ来る、響き来る

     ・・・・誰が哀音(うたね)そ。

がば!! とどす黒き喀血は

終曲に一枚の地圖を加へて

燃上がり、かき消ゆる輪燈よ。

のた打ちつ、仄めぐり

潮の引く如く消えて行く

あゝ・・・・消えて行く

.     ・・・・子守唄よ 

     (昭和十年「山桜」五月号)

 

まず、この詩には、張り詰めた重々しい韻律、緊張感がある。

大境とは、療養所を称しているのではないだろうか? 社会との大きな境を作って隔離されている、そのことをもって、大境と称しているように思います。

    病金魚の如く寝台に浮かべば

私は、金魚を長く飼っていたが、金魚が病むと、お腹を膨らませて仰向けに、水に浮いている様はいかにも苦しそうで、哀れである。そして、金魚は病むとあっけなく死んでゆくことが多かった。東條は、何故、金魚を比喩に持ってきたのであろうか。水槽の中に飼われているから、それだけだろうか? 癩の病が、人間扱いされないで、飼育のように軽く扱われている、「病金魚の如く」はそのことを、暗喩しているように思います。

療養所のベットに病めば、郷愁は止みがたい。どこからか、誰が発するのか、父を恋うのか、母を恋うのか、うめき声が、遠近に、聞こえてくるのでしょう。

    白壁に冬蝿は不動と合掌し

    晩鴉は枯木に苛苛と祈れど

    嗚呼、蒼白の輪燈は

    光明無明の大境に明滅し

療養所の患者の祈りは、白壁に止まって手を擦る弱弱しい冬の蝿のようであり、その声は、枯れ木に止まって啼く鴉のようだ。その祈りには、光明はないのである、なんと言う、むごいものだろうか。

    がば!! とどす黒き喀血は

らい菌は、結核菌と同じ抗酸菌の仲間であり、ハンセン病は結核を合併することがよくある。血を吐いて、無常にも、死んでゆく。そして、郷愁のうめき声(子守唄)は止み、聞こえなくなるのである。

郷愁のうめき声を「子守唄」といい、病者の祈りを「白壁の冬蝿」といい、祈りの声は「枯れ木の鴉」という。たいへんに象徴的な隠喩なのである。

療養所の中で、望郷の思いを抱いたまま、はかなく死すしか術のない、その有様を屹然と詠みきっている。



  
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