酸漿の詩     
           「山桜」10月号より  
ほほづき、ほほづき
そは円らなるかのなるかの赤きメノウ
はた麗はしきかの珊瑚。

われ、その美しさに魂(こころ)うばはれ
その麗はしさにそと接吻けみて
ああ かくも手痛き
そが苦味を知れり。

されど
われいまだ若く人の世の
まことの憂さを知らず
沁々とその苦味を忘れ得ず。

ほほづき、ほほづき
そは赤く、苦き
はた忘れ得ぬ、思い出の苦味
ああ、さればわれ
ほほづきの
その苦味を愛ず。

                   昭和10年 「山桜」10月号より 


この東條が詠んでいる酸漿は、想い出の「ほおずき」である。詩の一節に、「はた忘れ得ぬ、思い出の苦味」と詩に詠まれていますが、妹の、津田せつ子の随筆に「ほおずき」という文がある。
そこには、自分の幼少の頃を思い出して、高等小学校のころ書いた詩「ほおずき」に触れている。その部分を引用する。

    ほおずき
    何気なくかみしめた
    ほおずきのほろにがい味が
    忘れていたかみの日の感傷を
    よびおこしてくれた。
    何もかもすてたはずの私だったが
    ほろにがいほおずきの味は
    なつかしかった。

    空
    ぶらんこにゆられながら
    ふとあおいだ空の
    なんと遠く離れていたったこと
    あきがきましたと
    空は私にいっている。
   
こんな幼い詩を私はそのころのノートに書きつけている。「夢」と題するそのノートには、その頃の私の気持ちをうたった感傷的な詩がいくつか書いてある。その古いノートを見ると、くびれるような細い胴にむらさきのへこ帯をしめて、赤くうれたほおずきを鳴らしていた少女の自分の姿を私は悲しく思いおこす。20年も過ぎたいま思うと、それは美しく絵のように思えるのである。その映像のなかに、母のいつも泣いているようなしばたく眼や、私に死ねと迫った父の冷たい眼が折り重なって浮かんでくる。
皓星社「ハンセン病文学全集4」より引用


このせつ子の、古い「夢」と題するノートは、全生園に入る時に、大切に持って入ってきたのであろう。せつ子は、兄、耿一が全生園へ入園するのを追うように、2週間後の昭和8年5月4日に入っている。自分自身をふり返って、泣いてばかりいたと記している。せつ子の心の支えである兄、耿一は、せつ子の、この「夢」というノートを読んでいたのではないだろうか?
せつ子のこころになって詠まれた詩のように思うのだが、如何であろうか?

それにしても、「酸漿の詩」は、鮮やかである。

ほほづき、ほほづき
そは円らなるかのなるかの赤きメノウ
はた麗はしきかの珊瑚。

われ、その美しさに魂(こころ)うばはれ
その麗はしさにそと接吻けみて


この、第一連から二連目にはいる部分では、絵をよく描いた耿一を思わせてくれます。
酸漿を、メノウや、珊瑚に例え、視的な美しさから入り、苦味へ、若さの痛みに、人の世の感傷に、切なく、読む者のこころに広がってゆくように思う。
鮮やかな色彩感に酔うような詩であるが、東條は、その後、失明する。このような鮮やかな詩は、ほんの一時期だけしか詠むことが出来なかったのである。


  
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