帰郷
「ハンセン病文学全集」4(皓星社)の随筆に、政石蒙という作家の随筆は、こころの奥を深く覗き込んだすばらしい作品だと思いました。
「花までの距離」「逃げない小鳥」「寮父の手帖」「駱駝」「生きているような眼」「帰郷まで」「海」の7編が収められている。
療養所に隔離された患者にとって、帰郷とはどんなものか、それが書かれているので、抜粋してみたい。

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ハンセン病文学全集4(皓星社)、「帰郷まで」政石蒙著より抜粋

菌が消滅し伝染の恐れが皆無になっても、それまで長年にわたって犯されてきた肉体の損傷は消えることは無い。手足や顔面などの最も目に付きやすいところに後遺症があって「治った」と言っても容易に納得してもらえないのである。しかし、世間が認めなくても「治った」限りは、ただの身体障害者なのだから、療養所の中に閉じ込めておく理由は無くなり、外出制限が解かれ、後遺症のための行動が不自由で外出不可能なものや、まだ完全に無菌になっていない者を除けば、大部分の者が外出して楽しむようになっている。
   略
 このような現状でありながら、故郷は最も近寄りがたいところなのである。極めて稀にではあるが、療養所で暮らす期間より故郷の家出過す方がはるかに長い人もあるし、大手を振ってとまでは行かなくても、周囲をさほど気にしないで帰郷できる人もいるが、大方の者が故郷の世間の目を意識しながらこっそりと帰り、肉親たちと団らんのひと時を楽しんで、再びこっそりと故郷を出て療養所に戻ってくる。あるいは、故郷とは関係の無い旅人をよそおい、通りすがりに故郷を眺めるだけで済まさねばならぬ者もいる。それらはまだ良い方で、故郷に近づくことがまったく出来ない者も多い。療養所にきていることをひた隠しに隠し、行方不明ということになっている者などは恐ろしくて故郷へ近づくことなどできようはずがないのである。
 このように、帰郷を望みながらも脅えで足のすくむ思いをする。病気のために醜く変容してしまった?を故郷の人々の目に曝すことをはずかしがる見栄が幾分はあるとしても、それが理由ではなく、自分が帰郷することによって立てる波紋が肉親たちに直接間接に迷惑を及ぼすのではないかと言う恐れから足がすくむのである。病気を隠している者はその露見をを恐れ、療養所へ来ていることが世間に知られている者でも、長い年月の間に人々が忘れ去っているところへ姿を現し、またぞろ噂の種を作ることを恐れるのである。ためらいをふり切って帰郷を果たせば郷愁を癒すことはできるが、そのために家族や肉親たちが世間から冷たくされたり、結婚適齢期の者があればその結婚に支障をきたすなど暗い翳りをあたえるのではないかといった不安がつきまとう。それは肉親たちへの愛情から生じる恐れであり不安感なのである。
以下略

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政石蒙さんは、28年ぶりに帰郷して、以後、毎年、一度帰郷されておられるようです。その次の作品「海」にそのようなことが書かれています。
風見さんの、「不在の街」の葛野は、30年ぶりの帰郷のようすが書かれています。
その葛野にも、帰郷にあたり、政石蒙さんが書かれているような、逡巡が当然あったのでしょう。
『それは肉親たちへの愛情から生じる恐れであり不安感なのである。』
ハンセン病は単なる伝染病ですが、「遺伝する伝染病」だと言われていた時代があったから、患者は病気をひた隠しにしなければならなかったわけです。
遺伝するものと、伝染病とが生理的に一緒におこることはありえない、今からすると、とても矛盾していることであるが、ひろく社会に長い間信じられてきたのである。
社会の偏見と肉親との関係は複雑だと思います。
熊本裁判の名誉原告団長、島比呂志さんは、判決後、社会復帰されたわけだけれど、故郷の香川には帰られなくて、小倉で社会復帰され、昨年に亡くなられました。そこには、どんな島さんの思いがあったのでしょうか?島さんの肉親を思うあまりか?、島さんの親族があくまでも島さんとの関係を受け入れなかったのだろうか?
また、遺骨はどうされたのだろうか?
差別偏見の回復は、血族のない一般人には比較的容易に出来るけれど、最後の最後まで難しいのが親族だといわれています。

風見さんの絵画展は、鹿児島の黎明館の展示の後、長崎でも展示されたらしいです。
風見さんは、「僕の絵の力だけではないだろうが・・・・」と謙虚だが、この長崎の展示には、長兄(没)の兄嫁とその娘が展示を見にいってくれたらしい。風見さんは、展示場には出向かなかったようですが、兄嫁から、50年ぶりの、「絵を見ました」という便りをもらったそうです。手作りの座布団など、こまごまと気遣った品が沢山届いたようです。
風見さんの、この50年間の間には、ご両親の死は知らされず、帰っていない。父親の遺産分けとして、お金を送られてきたそうだが、その金がいやでパチンコとお酒にすっかり使ってしまったと言っている。
風見さんに、上のようなことを電話で伺っても、淡々と、また、茶化して話されるので、そのこころの奥にある翳りは知りようが無い。
今まで、帰郷しても、実家には寄らなかったと話しておられたけれど、今度長崎に帰られたら、ご実家に寄られるのだろうか?
ご自身の親、兄弟姉妹のいない実家では、実家と言っても遠いものかもしれない。でも、一つの糸の切れていたのが繋がったことを、私も、風見さんと共に喜びたい。


   航跡(鷲羽山)


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