尹東柱の詩

  白い影

たそがれが濃くなる街角で
ひもすがら萎えた耳をそばだてていれば
夕闇うごめく足音、

足音を聞き分けられるほど
私は聡明であったのだろうか。

いま愚かにもすべてを悟ったあと
長らく心の奥底で
悩んできた多くの私を

ひとつ、ふたつと己の在所に送り返せば
街角の暗がりの中へ
音もなく消えてゆく 白い影、

白い影たち
いつまでも思い切れない白い影たち、

私のすべてを送り返した あと
とりとめもなく裏通りをめぐり
たそがれが染み入ったような自分の部屋に帰りついたら
信念ぶかく 従容とした羊のように
ひがな一日 わずらうことなく草でも食もうか。
                  (1942,4,14)
          尹東柱詩集 金時鐘訳 もず工房 2004年より引用



東條耿一の詩

  葬列のあるくれがた

           武蔵野 東條環

くれがた廃墟のやうなこの村にも
蜜柑色の灯が点(とも)ると
風のやうに流れ出す葬列がある

銀の刺繍(ぬいとり)の送り人(て)、銀の牽牛、真中に取囲れ
た銀の棺、何もかも銀色の長い葬列に跫音も
なく、声も無く、遐時(おもかげ)の正月を迎へた松飾り
の村を霧のやうにひつそりと覗いて行く

遊び呆(つか)れて母の膝に寝(ねむ)る子供等の夢に
新たな年に幸多かれと祈る年寄達の想念(おもひ)に
働き疲れた若者等にせめてもの夜の絆を結ぶ
娘等(おとめら)の肉体の底に
なほこれら哀しい葬列は影のごとく練り歩く
のであろうか

私は道端にとろとろ枯柴を焚いて葬列を見送
つた。しかしそれはいつまで見送っても断(き)れ
ることがなかつた
憂愁(かなしみ)に疼く私の胸に遠くふるさとから寄せる
潮風がおもたい
ああ私はいつの頃からこの哀美(うつく)しい葬列を見
るようになつたのであらう…
くれがた焙絵(あぶりだし)のやうに浮ぶ銀色の葬列は
ひつそりと跫音もなく、声も無し
私の心の村にいつまでも続く…
                昭和十一年(1936)「蝋人形」二月号



東條と、尹東柱は、ほぼ同じ時代を生きた詩人です。作品を読んで思うが、二人の作品は印象が大きく違う。ふたりは性格もかなり違っているように思う。ただ、この詩を書いた年齢が、多分同年齢ぐらいでしょう。
私は、違う人格であるのに、詩の作品に、私は共通するものを感じている。ことばの質、表現の硬質、そんなものかも知れないが、人として生きる「個」への拘りのようなものかもしれない。
個を、しっかりと、紛れることなく、見つめようとする視線が共通しているのかも知れない。
尹東柱には、イエスを胸にたたんでいるゆとりが深層にあり、東條は、イエスを自ら否定しているところの虚ろさが漂っている。


尹東柱の年表を少し紹介しておきます。

1917,12,30 北間島明東村(中国と朝鮮の国境あたり)に生まれる。
   両親は、敬虔なカトリックで、教師。その長男。
1938年 ソウルの専門学校へ入学。
1942年 同、延専を卒業し、日本の立教大学へ入学。
1943年 立教から同志社へ移籍。
1943年7月 独立運動をしたという罪名で、被検。(尹東柱はハングルで詩を書いた。)
1945年2月16日 福岡刑務所で獄死。享年29歳。

尹東柱と東條耿一の断想(1)