佐藤鬼房と蓮井三佐雄           
「ハンセン病文学全集・4・記録と随筆」皓星社
「蓮井三佐雄のこと」吉田美枝子著抜粋

 句集を出したことによって、さらに作句にも励んでいたようであったが、自分の思う作品が先生の選に入らず、次第に俳句への意欲を失っていた。そんなときに出会ったのが、天狼の同人である佐藤鬼房先生で、『一処不動』を見ていただきたくお送りしたものであった。それに対して、早速佐藤先生からお心のこもった懇切な批評のお手紙を頂き、一句を選びお書きくださったものが同封されており、それがまた自分の好む俳句であったことから、三佐雄の感激はひとしおであった。その佐藤鬼房先生が、俳誌「小熊座」発刊することになったので、お読みくださいといって、創刊号をお送り下さった。それを毎晩訪れてくれる山田静考さんに読んでもらっていたが、ある日思いつめたように「小熊座」に入って勉強をしたい、と言い出した。私は彼の健康状態から不安を感じたが、どうしても「小熊座」に入会したい、という希望が強く、近頃にない俳句への熱意であった。
そして、61年11月に入会させてもらい、直接佐藤先生のご指導を受けるようになってからの日々は真剣そのもので、俳句が出来るとテープに吹き込み、それを何度も聞いては推敲していた。神経痛は一時よくなっていたが、年毎に痛みは強くなってきており、血圧も高く、ときには200を越えるときもあったけれど、そんなことには頓着無く俳句に打ち込んでいた。目の悪い三佐雄の願いを聞かれて佐藤先生は、ご多忙な時間を割いて、毎月「小熊座」を120分テープに録音して送ってくださるようになった。それを何度となく聞き返し、次のテープが届くまでカットテープからテープが出ることは無かった。
佐藤先生にめぐり合ってからの日々は充実しており、彼は彼なりに精一杯の作品を作って、それを小熊座、天狼、環礁と録音したものを私に聞かすのであった。


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私は、一度だけ佐藤鬼房に会っている。中新田未来賞の公開、俳句選考会を傍聴したことがあって、そのときの選考委員の一人が佐藤鬼房であった。他には、金子兜太、三橋敏雄、宗左近、中原道夫、などが選考委員であった。
佐藤鬼房は小柄で、とてももの静かな方だった。選考は活発で、激論が飛び交ったが、鬼房はそれらにまったく動じなかった。作者の心を見逃してはならないと、ひっそりと、原稿に向かっているようでした。鬼房亡き後、昨年もその公開選考会を傍聴したが、その選考会の雰囲気がすっかり変わって、おどろいた。丁々発止の軽いものになっている感じがした。
私は、そんなこともあって、密かに、佐藤鬼房という俳人を畏敬していた。
主宰が、俳誌を毎月、ご自身でテープに吹き入れて送るって、それは大変なことではないだろうか。テープに吹き込んだだけで、それは鬼房の個人指導と同じ趣があるだろう。
蓮井三佐雄さんの晩年が、佐藤鬼房によって、どれだけ充実したものになったか、たやすく想像できる。
「ハンセン病文学全集」の俳句の巻で、蓮井の句を読むのを楽しみにしたい。

ハンセン病患者を支えた作家ってどのくらいおられるのだろう?
なんと言っても、北條民雄を世に出した川端康成が有名である。
最近、佐々木幹郎さんもハンセン病元患者さんとの関係があることことをふとした切っ掛けで、知った。
風見さんへ、佐々木幹郎さんの「アジア海道紀行」をお送りした。小川凧店のことが大きく載っているし、長崎のことも色々載っているのできっと懐かしいだろうと思って、マリー・ローランサンの本と一緒にお送りした。
その「アジア海道紀行」の中に、大串博寿さんの「人間は何のために生きているのだろうか」という一文が載っている。病気のことは本文には、何も触れていないから、分からなかったのだが、風見さんが、「大串さんは僕と同じ病気なんだよ」「彼は裕福だから、療養所には入らなくて、菊池恵楓園から医師が往診に行っていた」「僕とは小学校が違って、僕は面識無いと思うんだが、大串さんは僕を知っているって言っているのを妹から聞いた」と話してくれました。
佐々木さんは、「大串さんが裕福かどうか知らないけれど、大串さんにもたくさんの差別と偏見、いやがらせが、いまもあって苦労されています」と仰っておられる。
ハンセン病の強制隔離といってもいろいろなケースがあったんだということとともに、佐々木幹郎さんの奥の深さにも触れ、驚きでした。
佐々木さんの今月発刊の「パステルナークの白い家」が届いた。
とても、おしゃれな白い本!、またきっと、驚きの連続だろう。たのしみに、じっくり、読んでゆきたい。






















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