光岡良二、トロチェフを詠む
光岡良二 第三歌集『水の相聞 光岡良二歌集』(雁書館、一九八〇年五月一日発行)より引用

雪の岨

  ポエットの友伴(つ)れ来しと言うらしき低きロシア語椅子の老夫人に

  癩やみし露西亜貴族の少年憐みてその祖母と叔母ここに棲みにき

  匂うばかりの壁の婦女像問いしより君は持ち来る母のアルバム

  「戦争と平和」に姓残るトロチェフ家の裔(すえ)にして上つ毛の山に生くるか

  舞姫母の眠るハリーウッドの墓地(セメトリイ)年に一度は訪い行くと言う

  ロシアを知らず君が〈ロシア〉は美しき亡き母の裡(うち)に広漠とある

  亡命のながき時の涯(はて)にかくなごむ老婦人の眸(め)に笑み返したり

  ぼくたちの復活節(パスカ)は五月と言える時その額に差す誇り見たり



光岡良二は、戦後全生園に再入院してから、全生園で英語の教師をする傍ら、全患協の事務局に勤めていたらしい。その仕事上、全国の療養所を訪ねることも多く、光岡の歌集は、旅の歌がとても多い。
栗生楽泉園に行った折、トロチェフと会い、詩歌の友として二人は結びついたのであろう。そして、トロチェフの家にも招かれ、祖母、叔母にも紹介されて、このように光岡に詠われたものと思われる。

  ポエットの友伴(つ)れ来しと言うらしき低きロシア語椅子の老夫人に

突然にトロチェフの家を訪ねたのですね。トロチェフが慌てて家族に説明している様子が目に浮かぶようです。

  癩やみし露西亜貴族の少年憐みてその祖母と叔母ここに棲みにき

トロチェフの履歴は前の項に書きましたが、ロシア貴族として恵まれた暮らしをしてきた祖母、叔母が、草津の簡素な家にトロチェフの養育のためにここに残り、一緒に住んでいることに光岡は深く憐れみ、感銘したのでしょう。

  匂うばかりの壁の婦女像問いしより君は持ち来る母のアルバム

美しい、壁にかかった夫人の肖像にこれは誰なのかと光岡が問うたのでしょう。そしたら、トロチェフが母のアルバムを持ってきて説明してくれたのですね。

  「戦争と平和」に姓残るトロチェフ家の裔(すえ)にして上つ毛の山に生くるか

ロシア貴族が、上毛の熊笹の被う荒地に生きている、その数奇な運命に、光岡も恵まれた幼少時代であっただけに、一層、心に沁みるものがあるのでしょう。

  舞姫母の眠るハリーウッドの墓地(セメトリイ)年に一度は訪い行くと言う

トロチェフの母は美しい舞姫だったのでしょう。そして、その墓地は日本にはなく、ハリーウッドにある。そこへ毎年墓参に行んだと、光岡は聞いたのでしょう。日本ではほとんどのハンセン病の方は血縁を絶っている。光岡も戦後の社会復帰した時に、光岡の本籍から戸籍を抜いて、養子縁組によって光岡の戸籍を作っている。光岡良二はだから本名である。光岡自身は実母の墓参を今まで出来ないでいるのではないだろうか。それが出来るトロチェフが羨ましい、そんな思いがこの歌には隠されていると思います。

  ロシアを知らず君が〈ロシア〉は美しき亡き母の裡(うち)に広漠とある

トロチェフは、日本で生まれている。祖国ロシアを知らないのだ。光岡ももちろんロシアを知らない。美しい亡き母の思い出の中に、トロチェフの祖国は広がっているのだろう、と光岡は想像している。そして、光岡もロシアという国を、トロチェフが見せてくれた母のアルバムから、ロシアをどんな国かと想像をしているのでしょう。

  亡命のながき時の涯(はて)にかくなごむ老婦人の眸(め)に笑み返したり

光岡は、トロチェフ家の老婦人が穏かに和んでいることに心打たれているのですね。そして、「笑み返したり」と詠んでいます。この「笑み」は、お互いの深い信頼と、包容と、尊敬とに裏付けられたものでしょう。
「らい」ゆえに歩まなければならない厳しい人生、「ロシア貴族」の滅亡による過酷な人生、それらを越えたところに、光岡もトロチェフ家の人々も「なごむ」、その「笑み」の深さにこころ打たれます。

  ぼくたちの復活節(パスカ)は五月と言える時その額に差す誇り見たり

この歌は、クリスチャンでない私にはよく分からないのですが、トロチェフさんは神父様であると伺っている、信仰の誇り、揺ぎ無い現世の受容があるのでしょう。きっと、光岡はそれを見逃さず、羨ましかったのだと思います。

この光岡の歌をご紹介下さった、恵美さんに感謝します。ありがとう。


           
                    ミズカンナ



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