コンスタンチン・トロチェフ、「ほかの せかいで またあおう」
ほかの せかいで またあおう

とおっている でんしゃの まどに
きみのかおを みた
はじめてみた きみのかお・・・だが・・・
だが・・・まえ むかし ほかのせかいで
きみを しっていた きもちが
むねを さした・・・
おぼえているかい
川のきしに ふたりで たっていたのを・・・
きみの ほそい かわいいえだは
もう あきの はらっぱに なっていた
おれは きみより たかかった
えだは きみまで とどいていた
きみは まだわかい しらかばだった
おぼえているかい その川のささやきを・・・
なつの やわらかい かぜ・・・
ことりの あさの コーラス・・・
ふゆの月 ひかった雪・・・
ふたりで そうして くらしていたが
ある あきの日だった
ぐるりに ぼくたちの かれはが
ちらかっていた
ひとりの おとこがきて つめたい なたで
おまえの えだを きりはじめた
そのあと・・・そのあと きみをたおした
きみの なきごえ まだひびく
そのばん 月が きみを さがしていた
あとで きみと またあったときを おぼえているかい・・・
それは うみのなみの上で おおぞらまで
とんでいったとき・・・いつも いつも
ふたりで・・・よかったな その
かもめの せかいのとき・・・
じゆうで どこまでも いかれたとき・・・
いつも ふたりで
まっしろな はねをひろげて あがったり
しろい ぼうしを かぶっている なみまで おりたり さかなを とったり・・・
いつもふたりで・・・
ある日 かいがんの上で あそんでいて
もう ぼくたちの いわの 巣 へ
かえろうと したとき おとがした きみは
いたみの こえを だしながら
はねを たたんで 下へおちた・・・その
きみのこえが きこえて くる 
こんど きみとあう せかいは
どこ なんだろう


皓星社「ハンセン病文学全集7・詩の2」より。


  トロチェフ、コンスタンチン

1928年9月9日、ロシア貴族の両親のもと、兵庫県神戸市で生まれる。戦時中、軽井沢の別荘にて発病、1945年5月23日栗生楽泉園に入所。祖母が孫を一人で療養所に送るにしのびず、ともに入所し、その養育にあたった。1960年代に、「英文毎日」に英文のエッセイなどを発表。日本語で書かれたものには詩のほかに、ロシア革命に関する論文や、ロシア語小説の翻訳がある。若い頃は翻訳で日本とロシアの橋になりたいと願っていた。著書に、「ぼくのロシア」1967昭森社、「うたのあしあと」1998土曜美術社出版販売。


この詩の底に流れている、精神の清らかさについて、解説をつける言葉がない。
言葉の一つ一つが、清明で、雪解け水の流れるような、「ほかの せかいで またあおう」というこの詩は、そのせせらぎのようである。

> ほかの せかいで またあおう

癩の病に、からだを蝕まれ倒れた友、社会の差別、偏見に絶望し自殺した友、肉体をもち苦難の現世から、肉体を離れたところの魂のみの世界で「またあおう」と、トロチェフは、呼びかけているのであろう。

>
> とおっている でんしゃの まどに
> きみのかおを みた
> はじめてみた きみのかお・・・だが・・・
> だが・・・まえ むかし ほかのせかいで
> きみを しっていた きもちが
> むねを さした・・・
> おぼえているかい
> 川のきしに ふたりで たっていたのを・・・
> きみの ほそい かわいいえだは
> もう あきの はらっぱに なっていた
> おれは きみより たかかった
> えだは きみまで とどいていた
> きみは まだわかい しらかばだった
> おぼえているかい その川のささやきを・・・
> なつの やわらかい かぜ・・・
> ことりの あさの コーラス・・・
> ふゆの月 ひかった雪・・・
> ふたりで そうして くらしていたが
> ある あきの日だった
> ぐるりに ぼくたちの かれはが
> ちらかっていた
> ひとりの おとこがきて つめたい なたで
> おまえの えだを きりはじめた
> そのあと・・・そのあと きみをたおした
> きみの なきごえ まだひびく
> そのばん 月が きみを さがしていた

シベリアに広がる広大な原生林の中に、ふみ込んでゆくような、深遠さが、この詩にはあります。
トロチェフの言葉は、特別飾り立てた言葉、高尚な言葉ではない、何でもない言葉、ありふれた言葉、それが、大きな世界、宇宙に広がる力を持っている。

不思議な詩を読む感じがする、言葉がこれしかないというぎりぎりの言葉、これが、詩の原点ではないだろうか。
ある時、ふたりが、会ったのは、川のきしで、立っていた時だった。
その次に、会ったのは、次に出てくる、海の上を飛ぶ鴎の時だった。。。

> あとで きみと またあったときを おぼえているかい・・・
> それは うみのなみの上で おおぞらまで
> とんでいったとき・・・いつも いつも
> ふたりで・・・よかったな その
> かもめの せかいのとき・・・
> じゆうで どこまでも いかれたとき・・・
> いつも ふたりで
> まっしろな はねをひろげて あがったり
> しろい ぼうしを かぶっている なみまで おりたり さかなを とったり・・・
> いつもふたりで・・・
> ある日 かいがんの上で あそんでいて
> もう ぼくたちの いわの 巣 へ
> かえろうと したとき おとがした きみは
> いたみの こえを だしながら
> はねを たたんで 下へおちた・・・その
> きみのこえが きこえて くる 
> こんど きみとあう せかいは
> どこ なんだろう
>

自由に会えるはずの魂の、木になり、鴎になるなったとしても、その別れが痛ましい。
木になって会った時は、人によって君は倒され、鴎になって会った時は、きっと打ち落とされたのだろう。
いつでも、君もトロチェフも無抵抗だ。
あっけなくやられてしまう。それは、運命という越えられない宿命のようだ。
しかし、それでも、魂だけは残る。
つぎの再会まで、こころ澄まして、待とう、とトロチェフはこう詠う。
時空を超越した詩なのである。

全集の末尾に著者紹介が載っていたものを、詩の下に転載したが、作者は、ロシア皇帝の血を引く家柄であるらしい。亡命先で発病ということか。
この清々しさと、広やかさはそうした血筋の表れだろうか。
トロチェフひとりではなく、祖母も一緒に日本に残り、敗戦後の、厳しい療養生活をされたということは、すごい話だと思う。
そうした祖母の温かさが、この詩には流れているように思う。
哀しい詩であるが、読後感が爽やかである。


            
                      冬の空







    
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