光岡良二、「少年」
  少年

私の中に一人の少年がいつもゐる。
紺がすりを着て
おとなしく はにかみ屋の。

緑のかげろふにつつまれて
少年は孤りで山径をのぼつてゆく。
世界はこともなく、美しいものに満ち
そのうつくしさが哀しみをさそひ
とらえがたい何かが心をしめつけて
少年は わざと茨で傷つける。

いただきからは海が見え
その光る一すじの澪のうえに
見しらぬ女のひとの
白いやさしい手が浮ぶ。

緑のかげろうが消え
ぼろぼろの時間が積もりかさなり
少年はおとなになつた
ああお前 よごれ疲れ ささくれだつた心よ
随分ながくお前も生きたものだが
いったい何をして来たといふのだろう。

私の中に一人の少年がいつもゐる。
黄ばんだ古葡萄酒の色の
春の日はもう照りはしないが
やさしい琴唄が鳴つてくることもある。

                (March,1949)
                 

  皓星社、「ハンセン病文学全集、7、詩の二」より引用

光岡良二 (厚木叡、岸根光雄) 1911年11月23日兵庫県に生まれる。東大哲学専攻、2年終了時に発病、1933年3月、全生園に入院。1936年、山室のぶ子(光岡芳枝)と結婚。戦中戦後時一時社会復帰、1948年、再発し、再入院。文芸活動のほか、自治会、全患協で活動。1995年、4月29日、死去。
詩集「鵞毛」1980年私家版
詩集「伝説」1983年沖積舎
歌集「深冬」1958年勁草社
歌集「古代微笑」1968年風林文庫
歌集「水の相聞」1980年雁書館
評伝「いのちの火影」1970年新潮社



光岡良二著「いのちの火影」の巻末に、「回想」として、自分自身のことを書いています。

発病以前の22歳までの私は、そこで死んだようなものであった。いや、死んだというより、虐殺されたに等しい。しかし、やはり生きている。23歳からの別の人間としてではなく、幼少時からの私が自己同一性を保って生きている。私は22歳の青春までの過去をむりやりもぎとられて生きているわけである。』

22歳までの存在をすべて断ち切って、ひとり療養所に生きるということは、実際どういうものなのであろうか? 
「幼少時と自己同一性を保って生きている」という光岡の言葉を、重く、私は受け取ります。
風見さんも「不在の街」で、幼友達のことを回顧するとき、療養所に入った時に時間がそこで止まってしまった、新聞に、幼友達が載るよなことがあっても、幼友達は、小学時代の、あの姿でしか甦らないと、言っている。
光岡にとって、22歳からの時間は、自由のない、縛られた生活であった。だから、生きたという実感、人生の中の歳を経る実感が無くなってしまった、そこに、少年期が一向に過去にならないという存在性の揺らぎがあるように思う。
光岡の胸には、いつでも、光岡の少年期が温かく、温度を持って、生き生きと甦ってくるのであろう、と思う。
この詩は、光岡が38歳の時に作られたものらしいが、「少年」という詩は、光岡の存在の原点を詠んだもの、そういう詩なのだと思いました。

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> 私の中に一人の少年がいつもゐる。
> 紺がすりを着て
> おとなしく はにかみ屋の。

>

少年とは、光岡にとっていつでも傍にあり、回顧するもの、 それがよく出ています。優秀な光岡だから、周囲の期待も大きかったことでしょう。

> 緑のかげろふにつつまれて
> 少年は孤りで山径をのぼつてゆく。
> 世界はこともなく、美しいものに満ち
> そのうつくしさが哀しみをさそひ
> とらえがたい何かが心をしめつけて
> 少年は わざと茨で傷つける。


思い出は、少年の自分の姿だけでなく、その時代に希望に満ちていた少年時代の熱い心まで切なく胸を衝くのでしょう。美しく、哀しく、思い出すことはまた、苦しみでもある。「わざと茨で傷つける」、光岡の少年というものへの、疼きがある。

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> いただきからは海が見え
> その光る一すじの澪のうえに
> 見しらぬ女のひとの
> 白いやさしい手が浮ぶ。

>

女性への思いは海のようなもの、しかし、女性ははっきりした像を描くことが出来ない、それもまた、深い哀しみ。

> 緑のかげろうが消え
> ぼろぼろの時間が積もりかさなり
> 少年はおとなになつた
> ああお前 よごれ疲れ ささくれだつた心よ
> 随分ながくお前も生きたものだが
> いったい何をして来たといふのだろう


ふと我に返り、少年が、年取った少年、光岡自身に、心の中で語りかける、

   ああお前 よごれ疲れ ささくれだつた心よ
   随分ながくお前も生きたものだが
   いったい何をして来たといふのだろう。


歳月の惨たらしさ、茫茫たるものである。「いったい何をして来たといふのだろう。」満たされない思いがある。自分の少年時代の輝きは、どうしても今の自分には繋がらない、茫々たる侘しさであろう。

>
> 私の中に一人の少年がいつもゐる。
> 黄ばんだ古葡萄酒の色の
> 春の日はもう照りはしないが
> やさしい琴唄が鳴つてくることもある。

最後の連に、38歳の光岡がいる。
思い出は、「黄ばんだ古葡萄酒の色」、酒を好んだ光岡らしい、酒と共にわが少年を思うのであろう。「黄ばんだ古葡萄酒の色の」という比喩は、クリスチャンの光岡にとって、神の恩寵の赤い葡萄酒ではないんだという、黄ばんだ古葡萄酒なのではないでしょうか。

  やさしい琴唄が鳴つてくることもある。

病を慰めてくれる琴唄、いますこし穏かな生活を取り戻しているのであろうか、「やさしい琴唄」が聞こえることもあるという、精神的な落ち着き、生活の潤いが、寂しさの中にもあるのだ。
こうした甘い叙情に結んで終わるところが、光岡らしい詩である。



         
               東京国際フォーラム



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