鈴木時次、「川原」
   川原

真黒な鉄板の上に
少女のなま爪がはぎ捨てられてある
それは月である
川原は干からびたよもぎや
灰色の流木でいっぱいだ
すべては帰るじこくをもたない
苦痛だけをしんじ
ゆっくりと流れ出した
            「ハンセン病文学全集・6・詩の1」より


鈴木時次 (1926〜2003)
群馬県生まれ。
8歳ごろに発病、父も同病、ともに1941年栗生楽生園に入所。入所後絵を描き始める。二科展、県展などに入選。画集『生きるあかし』(2002 皓星社)


この詩はひとつの景を結ぶことができない。
心象なのだろうが、かなり分裂している心象のように思って、はじめ読んでいた。
熊笹の遺言」の鈴木時次を見て、この詩が分かるような気がした。
鈴木時次に妹がいて、その妹は社会復帰していたのだが、社会の偏見の中で倒れ、療養所に戻ってきて間もなく自死したらしい。映画に、写真が写っていたが、とても、きれいな妹さんであった。
時次は、妹を救ってやれなかった、死なせてしまった、そのことが、ずっと、ずっと、心に引っかかったままその後を生きたらしい。
鈴木時次の絵は少女の絵が多いが、ほとんど、妹を描いているのだ。
どの絵も愛らしい。

時次は絵筆を握る指がない。筆を手に巻きつけて、絵の具をキャンバスに置くように描いてゆく。

ところで、詩の方に話を戻すが、この詩は、1959年の栗生楽生園合同詩集、「草津の柵」に収められているのであるから、妹の死の間近に書かれたものではないだろうか?
それを知って読み直すと、まことに痛々しい詩である。

  真黒な鉄板の上に
  少女のなま爪がはぎ捨てられてある

妹の生きた社会が「真黒な鉄板」で、妹は、「なま爪」をはがされるように死んだと、時次は悲しんでいるのである。

  それは月である

妹は死して、天に上っていった、と思うのであろう。妹は月のように美しいのだ。

  川原は干からびたよもぎや
  灰色の流木でいっぱいだ


時次は、自分が死んだら、利根川に骨を流してくれと言っていた。妹の遺骨も、利根川に流したいのであろう。
映画の中に、妹の絵を、利根川に流すシーンがあった。

  すべては帰るじこくをもたない
  苦痛だけをしんじ
  ゆっくりと流れ出した


「苦痛だけをしんじ ゆっくりと流れ出した」とあるが、時次の心はそこに止まったままなのだと、映画を見て思いました。
時次の時計は、そこで止まってしまったのである。
30年以上経ても、変わっていないのある。

NHK「きらっと生きる」に出演されている、そのサイトも御覧下さい。
リンクを付けておきます。


           
                  童子面



     
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