谺雄二、「鉈をとぐ」
「鉈をとぐ」

  T
鉈をとごう
力いっぱい鉈を砥ごう
いま時の薄手の刃物は付焼刃。信用できんし
ヤクザで好かん
鉈はいいぞ
鈍重だが、あくなき剛さ
ふりおろせば真正直
骨までたたっきる

 <これは、おれの首だもの
 <おれが斬る
 <鉈で断つ

見上げれば、今夜も
月はない
だが、この明るさは何だろう
鬼一匹の
赤黒い情熱の光芒
鉈をとぐ

  U
この首を
何処に曝そう
東京のどまん中だ
敬愛すべき人間共の百千万度のエネルギーが
ギラ、ギラともえ
くらく眩しく、はげしく
交錯するところ
おれの梟木は其処だ

梟木の上から
おれは叫ぼう

 <おーい、みんな
 <なつかしい、むかしの友達よ
 <ちょいの間でいい
 <こっちを向いてくれ
 <おれをみてくれ

がおれの叫びは声にならない。でも
あきらめないぞ
おれはあきらめない。おれの首は
声なき声でさけぶ

 <みてくれ皆んな
 <日本山脈の熊笹の奥で獲れた鬼
 <この、ライの首級を!
 <現在に生き継いだ、これが
 <ライの最後の顔だ

群集はながれ、絶えまなく流れ
肥料を思わせてながれ
とりわけ疲れた人々のなかに、おれは
曾てのチチ、ハハをみる

―――― 一しゅん、鬼の眼にとおい雲が浮かび
黝い記憶がちぎれとぶ――――

 <むかし、おれにも父母があった
 <かれらは貧しかった。貧し過ぎた
 <働いても働いても喰ってはゆけぬ夫婦
 <貧困と過労がおれを生んだ
 <お伽話ではない
 <現にあなたがたの隣人に
 <おれのチチがいる、ハハがいる
 <現代史に谷底。犇めく
 <ひくい屋根屋根の
 <その破れたドブ板の下に
 <ああ
 <ライは巣くっているのです

梟木の上から、おれは
なおも訴えて叫ぶだろう
人間の名をひんむかれた、赤ムケの
生きものの歴史を!
日本の冬が、どんなに永く
そしていかに狂暴残酷であったかを!
おれたち一万二千の仲間がどのように結束し
闘って来たかを!

 <この鬼の首は
 <おれたち仲間の“苦悶の象徴”
 <飼い馴らし、飼い殺しの策謀に抗して
 <生き抜いたシンボル
 <おれたちの敵を
 <ハッキリと確認して来た首

百千万度の生産エネルギーを担いながら
あまりに貧しい労働者よ
終日、田畑に這いつくばりながら
自らの収穫さえ喰えぬ零細農民等よ
あなたがたの敵は、同時に
おれたちライの子の敵だ。おれは
あなたがたと共に
再度、彼奴を告発する
しかしおれはここで
悲しく言葉をつがねばならぬ

 <健康で美しい友よ、ひとびとよ
 <あなたがたと
 <おれたちは
 <同じ広場に立っている
 <だのになぜ
 <こんなにも遠いんだ
 <あなたがたはなぜ
 <おれたちをしりぞけるのだ
 <遺伝と云うな
 <恐しい伝染病と云うな
 <まして不治と云うな

おれは
愛するあなたがたにつたえよう
昨日―――1956年
「柊の森」に棲むライの仲間の
その90パーセントが
治癒、無菌を証明されたことを!
ひとびとよ
聞け、あの音を!(とおれは叫ぼう)
あれは隔離撲滅に閉ざされていた
ライの氷河が
亀裂するとどろき!

 <伝説は消えた
 <友よ、勇気ある友よ
 <いまこそ我が首を
 <此処に
 <梟木に曝せ!

月がのぼっていた
血いろの、ひどく醜い月が
熊笹の尾根にかたむき
鬼一匹
鉈をとぐ

          (註「柊の森」東京・多摩全生園)

皓星社「ハンセン病文学全集 6 詩の1より

先に、谺の「鬼瓦よ」を取り上げている。
この「鉈をとぐ」を読んで一番に思うことは、この詩が1956年ごろに書かれているということです。
その、1956年に、すでに、谺は、ライ病のすべてを熟知していることに、私は驚かされる。

 <貧困と過労がおれを生んだ

 <その破れたドブ板の下に
 <ああ
 <ライは巣くっているのです

今では明らかなことであるが、ハンセン病とは、社会的貧困が生んだ病気であった。社会環境の整った国ではハンセン病は自然消滅するのである。いまもハンセン病患者がおり、その病で苦しんでいる人が多くいるのは、経済的発展途上国である。まさに、「貧困と過労」が生む病気なのである。
現代は、、ハンセン病は、国際的には消滅されつつある病気なのである。
谺は、1956年(昭和31年)に、すでに、それを知っていた!谺は、このことを知りつつ50年の半世紀を、社会的に理解されることなく、療養所の内に暮らしたことになる。
そのことを思うと、胸が痛む。
また、療養所の方で(後遺症のない方はほとんど社会復帰されているので)、年齢が高いほど、手足の機能、顔の変形、失明など後遺症が重い、戦前から入園している方は、一般的に重い症状を呈しているように思う。環境が悪いほど、症状が重いのだろう、戦前の療養所の環境が、いかに劣悪なものであったか、療養所というのは名ばかりで、ファシズムの民族浄化のあおりで、療養所が、穢れている人の収容所のようなものであったということを、彼らの身体は証明しているように思います。



> 昨日―――1956年
> 「柊の森」に棲むライの仲間の
> その90パーセントが
> 治癒、無菌を証明されたことを!


「柊の森」は多摩全生園のことである。
多摩全生園の患者の90パーセントが、1956年に、治療がすすみ、ライ菌の無菌者になっていたのである!
ほんとうに、ライ予防法の廃止まで、そして、ハンセン病国家賠償訴訟までが長すぎます、なんと無念な道のりだったことかと、胸が詰まります。
もっと、もっと早くに、「ライ予防法」の不条理性が、周知できなかったのだろうか!

谺は「鬼瓦よ」で、

>おまえの顔の後ろに月がいる。
>おまえの上を鳥が飛ぶ。

>鬼瓦よ。
>おまえをみていると僕は勇気がでる。


と詠んでいる。
鬼、その具象の鬼瓦について、強いて言えば、鬼の精神的孤高性に、谺は惹かれ、生きる勇気、呪詛する勇気をもらっている、「鬼瓦よ」はそういう詩でしょう。
この「鉈をとぐ」でも、鬼が出てきます。

> 見上げれば、今夜も
> 月はない
> だが、この明るさは何だろう
> 鬼一匹の
> 赤黒い情熱の光芒
> 鉈をとぐ


> 月がのぼっていた
> 血いろの、ひどく醜い月が
> 熊笹の尾根にかたむき
> 鬼一匹
> 鉈をとぐ

月の輝きとは、夜空にあって、隠微で、その光はどこか精神的な美しさなのだと思う。
「鬼瓦よ」で

>おまえの顔の後ろに月がいる。
>おまえの上を鳥が飛ぶ。


と、詠んだ谺が、「鉈をとぐ」では

> 月はない

月はないと言っている、そして月が出てくると

> 血いろの、ひどく醜い月が


と詠んでいる。美しいはずの月が、見えなかったり、見えると、赤く、醜い月だと詠んでいる。
鬼は、谺でもある。
その鬼は、「鬼瓦よ」の鬼より、月が暗示するように、一層、醜く、異形である。
この醜い異形は、90パーセントが無菌でありながらなお、療養所に隔離させられる、その矛盾、不条理さが一層、鬼が、醜く異形になるのである。
その、鬼の異形さが、


>  <健康で美しい友よ、ひとびとよ
>  <あなたがたと
>  <おれたちは
>  <同じ広場に立っている
>  <だのになぜ
>  <こんなにも遠いんだ
>  <あなたがたはなぜ
>  <おれたちをしりぞけるのだ
>  <遺伝と云うな
>  <恐しい伝染病と云うな


ここの部分と響きあって、哀しい。
谺は、療養所に暮らすハンセン病患者と同じ、貧しい労働者に向かって、同胞として呼びかけています。
この一連は、とても美しく、哀切に富んでいます。

>  <だのになぜ
>  <こんなにも遠いんだ

>  <あなたがたはなぜ
>  <おれたちをしりぞけるのだ

同じ貧困者なんだ・・遠ざけないでくれ!谺の悲しみは深い。

谺の詩は、純血で、美しいと思う。
私は、詩を書く谺を、鉈をぶるぶる振り回す詩を書く人という印象を持っていたが、この全集に収められているいくつかの詩は、言葉が強いだけでなく、豊かな感性をもったすばらしい詩人であると思います。



            
                 赤い起重機




        
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