中山秋夫 「年齢」
 年齢

限られた風景の中で それはいつも
私がたえていたように
彼も私にたえていた

季節が変わると蝶々の様に
とびまわって 私を見喪ったり
私の中へ喰い込んで
ときに大胆な批判もしたもんでした

軍歌が街中に氾濫していた頃
私自身が味気なく
一つの方向も定まりませんでした

それからーーー
・・・・・それから空白の中の私達
それは長い間の事で
今度は私の方が彼を忘れたりしましたが
この頃ふと
妙なところから私を呼び止めて
向き合った瞬間
全くいやな顔付きで鏡の中に座っていたり
するんです
             (1954・5・21)
      「ハンセン病文学全集 6 詩の1」(皓星社)

中山秋夫 (1920〜 )静岡県出身。
1934年頃発病、翌年、同病の父の元へ、湯ノ沢に行くがすぐに父が亡くなり、1939年光明園に入所。1963年失明。ハンセン病訴訟の原告、知のリーダー的存在。
川柳句集「父子獨楽」1989 私家版
「一代樹の四季」1998 私家版
随筆集{鎮魂の花火」1999 私家版
詩集「囲みの中の歳月」2002 私家版

年齢は、
中山、34歳の作品、中山の初期の作品だろう。中山の作品は、どれも抽象的で、哲学的だ、難しい。全集に、中山の作品としてはじめに載っていたので引いた。
まず、一読して、「彼」とは、誰か?、何なのか?
私は、「年齢」というタイトルからして、「中山の若さという年齢」を人称化したものと受け取りました。詩のなかに感想を挟みながら、この詩を鑑賞してゆきたいと思います。

  限られた風景の中で それはいつも
  私がたえていたように
  彼も私にたえていた

  季節が変わると蝶々の様に
  とびまわって 私を見喪ったり
  私の中へ喰い込んで
  ときに大胆な批判もしたもんでした

若さと捉えると、いきいきと、時に鬱積し、時に弾ける、若さという生が見えてくる。
彼も私にたえていた・・・自分で自分の青春を寂しい青春だなと思っているのであろう。
季節が変わると蝶々の様にとびまわって・・・自然はありがたい、四季の移り変わりに心弾ませることもあった。
私を見喪ったり・・・自分の悲運の憂さを忘れることもある。「喪」が意味深いですね、心弾むことが、自分を喪うこと、谺と同じ、悲しみ、呪詛している自分が常なのだということだなのであろう。
私の中へ喰い込んでときに大胆な批判もしたもんでした・・・「こんなことでいいのか?」悲運に暮れているだけでいいのか?もっと人間らしく生きたい、可能性を持ちたい・・と悩む純粋なひた向きな10代の若さを、34歳の若さで回顧している。
「したもんでした」という、34歳のすでに達観なのである。そこが一層痛ましい。

  軍歌が街中に氾濫していた頃
  私自身が味気なく
  一つの方向も定まりませんでした

戦時中のことですね。この非常時に、病気であることの口惜しさ、お国のお役に立てない、中山は、当時の男子としては普通だれでも持つ、日本男子の感情を持っていたのだろう。
  一つの方向も定まりませんでした
らい病者故の言われなき国政の卑しめに腹を立てたいのに、お国の大事に働けないことを情けなく思う。この矛盾、誰に、何を怒って良いのか分からないのである。

  それからーーー
  ・・・・・それから空白の中の私達

「空白」の意味するものは、戦中戦後の激しい飢えの時代を言っているものと思います。療養所の戦中戦後が一時どのように悲惨であったか、口に表せないものであったと聞いている。特に中山は邑久光明園である、島には草一本生えていなかった、すべて食べられるものは食べ尽くされた言われている。中山はその時代を「空白」と言う・・・・自分の若さという年齢も忘れ、生命のぎりぎりを必死に生きた、それを中山は「空白」というのだろう。「空白」とは恐ろしい言葉である。

  それは長い間の事で
  今度は私の方が彼を忘れたりしましたが

あまりに荒んだ生活が長かったために若いという年齢をも忘れていた・・・・

  この頃ふと
  妙なところから私を呼び止めて

ああ、自分はまだ34歳、若いのだ気付くことがあるのでしょう。

  向き合った瞬間
  全くいやな顔付きで鏡の中に座っていたり
  するんです

自分を写す鏡に愕然とする。これが、34歳の顔か?・・・・・・
そして、1954年の詩ということで、昭和29年ですから、らい予防法が制定された翌年である。
全くいやな顔付きで・・・・ほんとうに苦々しい思いであっただろうと、深く同情いたします。「するんです」という投げ遣りで、無気力な表現が、その時代の中山の心象をよく出しているように思う。

             (1954・5・21)

1954年(昭和29年)は、吉田内閣の強力な復興政策でやっと戦後の動乱が落ち着きが見えたころ、ハンセン病の患者たちは、「らい予防法」の廃止闘争から破れ、生活改善要求に闘争の柱を変更している。療養所の暮らしも生活的にはすこし落ち着いたのではないだろうか?
34歳の若い中山が、34歳という年齢までの、若さの年齢を振り返っている詩だと思いました。
抽象化された言葉が意識の深さを語っている。中山の志向の高さも伺える。そして、自分を客観視する冷静さがある。
とてもインテリな人なのだろうと思う。


                
                     乙(おと)面



         
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