谺雄二 「鬼瓦よ」
   鬼瓦よ

僕は、地べたを這い
赫土の香気をかぐ

ときどき空をみる。
鬼瓦よ

地上に僕という小さな呪詛者がいるのだ。
おまえの顔もすごいな。

おまえの顔の後ろに月がいる。
おまえの上を鳥が飛ぶ。

鬼瓦よ。
おまえをみていると僕は勇気がでる。

呪詛する勇気。
その中に微かな純血性がある。

太陽と
気流の層。

鳥は飛ばなければならぬ。
獣は這わなければならぬ。

僕は、歩かねばならぬ。
僕は鬼瓦に危険信号を視た。

        「ハンセン病文学全集 6 詩の1」(皓星社)

谺雄二(1932〜 )
1939年発病、母と同じ全生病院へ入る。1951年栗生楽泉園へ転園。ハンセン病国家賠償訴訟の団長代理。
詩集『鬼の顔」(1962 昭森社)
詩・写真集「ライは長い旅だから」(1981 皓星社)
自分史「わすれられた命の詩」(1987 ポプラ社)


谺さんは、7歳で、全生病院に入ったのである。エリカさんのHPに、松本馨さんのことが、書かれている。
松本さんは、当時全生園の、谺の寮父をされていた。その教育は、

国の教育方針に従って基礎的な力をつけることも必要だが、それ以上に大切なのは自己を表現する能力をつけてやることだ。子供たちの前途には恐るべき病魔が待っている。それと戦う言葉をもつことがたいせつだ、苦難の中で言葉をもたず獣のように死んでいくほど悲惨なことはない。

というものであったらしい。
この教育方針から、この作品が生まれたと言っても良いのであろう。

谺さんのドキュメンタリーを「熊笹の遺言」見たことがある。ハンセン病検証会議の公聴に出かけ、実際に遠くから、尊顔を拝したこともある。とても存在感のある、スカッとした雰囲気の、明るい声の人である。栗生楽泉園では、医療スタッフにもたいへん人気が有り、チャーミングな方だと「それぞれのカミングアウト―ハンセン病回復者― 八重樫信之写真展の八重樫さんは話しておられた。とにかく、ハンセン病回復者の中で、もっとも有名な方だろう。

ところで、「鬼瓦」であるが、谺の最も、初期の作品、21歳頃であろうか。

僕は、地べたを這い
赫土の香気をかぐ


ときどき空をみる。
鬼瓦よ

地上に僕という小さな呪詛者がいるのだ。
おまえの顔もすごいな



谺の言葉は重い、叩きつけるような言葉、まず、言葉の強さに圧倒される。
この詩にもあるように、地べたを這っていても、香気が、谺にはある。
鬼瓦と谺の顔は、こういうと失礼だが、似ていると思う。
「おまえの顔もすごいな」、自分は呪詛者なんだと言いながら、憤怒だけに固まらない、ふと肩の力が抜いて、にんげんの感情が戻る。
そこにユーモアがある、にんげんの温かさがある、それが谺の魅力だろう。

おまえの顔の後ろに月がいる。
おまえの上を鳥が飛ぶ。

鬼瓦よ。
おまえをみていると僕は勇気がでる。


大空の鬼瓦、昼には、鳥が傍らを飛び、夜は、空に月が宿すのである。なんと言う鬼瓦の香気!

呪詛する勇気。
その中に微かな純血性がある。


谺は、鬼瓦に、呪詛して生きることの純血性をもらうのだ。

太陽と
気流の層。

鳥は飛ばなければならぬ。
獣は這わなければならぬ。

僕は、歩かねばならぬ。
僕は鬼瓦に危険信号を視た


太陽と気流、そして地球は、人間だけのものでも、健常者だけのものでもない。生きる権利が誰にもあるのだ。

僕は鬼瓦に危険信号を視た

さて、この、「危険信号」はどのように解釈したらよいのだろうか?
私は、この詩が昭和28年の「いのちの芽」という、全国ハンセン病療養所合同詩集の中に収められている点から、「危険信号」というのは「らい予防法」を暗示しているように思います。
昭和28年に、ハンセン病の治療薬が出て、隔離の意味が全く無くなったにもかかわらず、新たな「らい予防法」が制定してしまったのである。
これは何という間違いだ!!!という、谺の思い、天地神明にかけて間違っている!宇宙の真理の危険信号だと言っているのでしょう。


                   
                   芒原(仙石原)



      
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