「私なら、偏見は無いから」
蓮井三佐男の遺稿集「遠かもめ」に、鬼房が序文に書かれているのだが、昭和25年に、中村草田男が大島の青松園を訪ねたことがあるそうだ。

   直面一瞬「ゆるし賜はれ」冬日の顔々   草田男

鬼房はこの句に対してこのような感想を述べている。

『草田男をして「ゆるし給はれ」と真実に吐露せしめたのは、療養者に対して抱いていた偏見に、深く慙愧してのことなのだ。草田男の一本気な生真面目さがうかがえるが、仮に私なら、偏見は無いから、「ゆるし給はれ」などと詫びはしない。このことは、この句に接して以来変わらない。』

と述べている。
草田男のこの句は私は好きである。じんわりと胸の奥から温かいものが涌いてくるような、良い句だと思う。

鬼房が「私なら、偏見は無いから」とさらりと言っている。
その言葉に引っかかり、「わたしはどうか?」と自問してみる。こうしたHPを掲げたり、東條耿一の詩の収集に全生園に通ったりしていると、人によく「どうしてこういうことに関心があるのですか?」と問われたりする。
そう問われても、何が私をこうしたことに駆り立てるのか?よく分からないのである。
ただ、こうしたことの中に、大きな感動があり、その感動に引き寄せられるように、自然に、こころの声に従っているだけである。
それは、特別なハンセン病への意識ではないかと言われると、そういうことではないと思うと、言うほかはない。

ところで、蓮井の俳句について、鬼房は、

『蓮井は充実の第一句集を出した後、自己撞着におちいった形跡があり、大切な心の叫び訴えを、観念的表記にすりかえ、思うように佳い句が得がたくなっている。

と、書いている。
鬼房は毎月、俳誌をテープに吹き込んで蓮井に送っていたのであるから、蓮井が目が不自由だったことは十分承知していたはずである。
それなのに、この遺稿句集に、そのことになぜ、鬼房は触れないのか?

観念的表記・・・、これは、目が不自由であれば、止みがたいことではないか?
第一句集のころは、かろうじて見えていたようだ。その後に、悪化しているのだ。
それでも、鬼房は、そのことに触れていない。失明によるものであることを認めていない。
俳句は、物で書く、従って、見ることが、よく見ることが俳句の基本である。
蓮井は、それが出来ない。それでも、鬼房は、そのことを斟酌していない。
そこに、鬼房の指導の厳しさを見る。

この序文を通して思うのだが、鬼房はたやすく褒めない人なのかもしれない。

直接佐藤先生のご指導を受けるようになってからの日々は真剣そのもので、

と、吉田が書いている。
蓮井は、鬼房の厳しい指導によく耐え、よくがんばったのであろう。その後、鬼房から同人の推挙も得ている。

鬼房の「私なら、偏見は無いから」という言葉が重く思い返される。


               
                      教育田




         
← 戻る 次へ →


top page