坂井新一の詩
  孤冬

こんなにも
静寂りかへつた冬朝
しんしんと身に喰ひ入る
この冷たさはどうだ。

からりつと
晴れ渡つた空にも
憂愁の翳はあるのだろうか
沓々、山脈の端に
わびしい雲が動いてゐる

あ丶遠く離れ住む恋人よ
あつたかい便りをくれないか。


   床を取る

身も冷へた 心も冷へた 冬の夜、
隙間洩る 風の心も 恨めしい。

待つ人も 待たるゝ人も ない身空
いつ知らず 胸の埋火 消えへてゆく。

なんとせう 生きて居る身を 何んとせう
のろのろと 今宵も独り 床を取る。


皓星社「ハンセン病文学全集 6 詩一」より


この詩は、下手な鑑賞は要らないと思います。坂井のこころに、しんしんと浸ればいいですね。


坂井新一(生年不詳〜1934,12,26没)
新潟県出身、19歳でハンセン病の宣告を受け、全生病院入院。6年過した後、1933年8月9日、長島愛生園に転園。
遺稿詩集「残照」(1935「日本詩壇」発行所)

「1933年8月9日、長島愛生園に転園」ということであるが、長島愛生園は、瀬戸内海にある小島に、国立の最初のらい療養所として、「らいの楽園」という大きな夢と期待をもって建設される。
光田健輔は、全生園の園長を林房信に譲り、長島愛生園の園長として赴くのである。
3月に、患者、医師、看護婦総勢、81名の大部隊が、報道機関を避けて極秘に、全生園から長島愛生園まで大移動を成し遂げている。
坂井新一は8月9日に転園ということなので、大移動の「81人の箱舟」といわれた中には入っていないのでしょう。
光田健輔という人は、強制絶対隔離を推進した中心人物であり、断種、死後解剖など人権を無視した悪弊の数々があるが、一部の医師や看護婦、そして、患者まで、厚い信頼を得ていた。どこまでも光田についてゆくというという人が次々後を立たないという一面もある。
カリスマ性の高い人なのだろう。

坂井は、転園一年後に、26歳の若さで亡くなることになる。


               
                      薄ら氷




       
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