療養所の中で社会復帰を
> しかし、現在、「らい予防法」は廃止され、この隔離は違憲であったということになった現在、塀は必要ないのではないか?
> 塀は、風見さんにとって、取り払われたのであろうか。

ハンセン病元患者さんの、「生き直し」は社会復帰、療養所を出ることを指すように思われているところがある。
同人として共に文学をしてきた「火山地帯」の主宰、島比呂志さんは1999年に、いち早く、北九州市に社会復帰している。
しかし、風見さんは「療養所を出ることだけが、社会復帰ではない」と言われる。
星塚敬愛園には40年の風見さんの歳月がある。ここにはともに苦労した仲間が居る。そういう人たちとの関係を絶って、ここを出て新たに、知り合いの居ないところで新生活を、70歳で切り開くより、この仲間と共に、自分の意識の改革で社会との関係を築きたい、それも、社会復帰だと思われているのではないでしょうか。
私との、文通や、交流はそうした意識の上にあるのだと思います。
03年の6月末に、とても親しい友人、療養所内では多くの人に疎まれた、土佐生まれの豪放な?男の人が亡くなられた。
風見さん以外には誰れとも話をしない、風見さんだけを頼りにした。そうした人との係わりを風見さんは大事にされる。
5月、6月とずっと危篤が続いた。ぼくの体力が持たないよ、とよく嘆いておられた。しかし、亡くなられると、「やりきれないよ」と身の置き場がないようだった。
社会復帰は、障害の重さによっていくら社会復帰したくてもできないものだあろう。療養所の中では夫婦共に暮らせても、社会では、難しい、障害の軽い人は出てゆき、重い人は殘る。夫婦が別居して、残る人が、社会復帰をしてゆく人を、已む無くおくりだす場合もある。
こうした社会復帰に、風見さんは疑問を持ってしまう。
しかし、療養所の入園者の平均年齢は高い、毎年、亡くなられる人が後を絶たず、療養所の過疎化が進んでいる。風見さんの住まいの回りもすっかり空き家が多くなった。療養所にいても、文学の話など、話せる友人がほとんどいない、どんどん鬼籍に入っている。この寂しさをどうしたらいいのか・・・

    「社会とのつながりを自分なりに探し当てた気がしている」

と、読売新聞の取材には答えているが、最近の園の様子には、風見さんの嘆きはおおきい。
裁判の告訴した人としない人の対立もそうだが、療養所は、一般に解放して、園内に、見学者を積極的に受け入れている。
頻繁に、バスで、見学者がやってこられるようだ。
風見さんは、療養所の中で社会復帰をするという考えから、見学者を自宅に受け入れておられるようだ。
私が、電話をした折も、風見さんが出られるのでなく、若い女の方が出られ、面食らった。女性ばかりの見学者が7,8人で押し寄せたようだ。「男の一人住まいに女の人が押しかけてきて、ぼく、頭から湯気が出てるのよ、もう・・・」とぼやいていました。
こうした見学者は、ほとんど見学の後、葉書一枚も寄こさないと話しておられる。
これが、社会復帰か? 
この療養所の社会復帰をどう捉えたらよいのか、風見さん自身の老境の寂しさも加わり、悩みは尽きないようです。

             
               緑陰(東京都庭園美術館)




       
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