本当は、隔離に意味がなかった
風見治著「祝福」より

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> 老人の説明では百年ほど前にMは、国内からL病を絶滅させるために建設されたらしかった。Lの治療薬が発見されない当時のことで、関係者たちはLにかかった病人を隔離することがL病を撲滅させる唯一の方法と考え、病人を見つけてはMにつれてきて、室を一つずつ増やして、それを塔の形に造り上げてきたのだという。関係者の計算では塔ははるか雲の上へのびるはずだったらしい。
> 「Mの先端が未完成のままになったのは、いまから40年ほどまえにLの特効薬というものが発見され、国民の衛生思想の向上や環境の改善などによって、Lを発病する者が減少して、増えつづけるだけだった患者が、こんどは減少の一途をたどるようになったことが原因なのです。塔を高く築くより壊さなければならない時代になってしまった。ちょうど虫食いのように塔が随所で崩れているようにみえるのは、退園したり死亡した患者の室をつぎつぎこわして行った跡でね。未完成部分とこわされた部分を負うたこの塔が建設途上にあるというのは、Mが建設された意味そのものによっているのだね。Lの絶滅され尽くしたとき、初めて建設が終わったことになると言ってもいいかも知れん」
> 老人は杖にもたれかかるようにして、静かにいった。



この老人は、元園長という小説の中の設定である。
(ただ、この「祝福」という小説は「らい予防法」が廃止される前に書かれた小説である。)
療養所への隔離の、行政上の施策が百年間一貫していることが、この老人(元園長)によって語られている。
伝染病という病気は、基本的に隔離が有効であると思う、大流行しないために、効果があるように思う。結核もかつて隔離治療であった。最近では、サースが、昨年中国で猛威を奮るったが、結局隔離して治療し、根絶することが出来た。
百年前の、らい病は天刑病と呼ばれ、恐れられた時代の施策として、隔離を据えたことは、あながち誤りではないであろう。
ただ、ノルウェーでは日本のように絶対隔離、民族の浄化というファシズム的なものではなくて、もっとゆるい家族の中でうつらないように生活環境の改善、衛生環境をよくすることを政策的に取り入れてやって効果を上げている。
隔離のあり方も日本とノルウェーは、大きく違い、日本の戦前のハンセン病患者さんは悪い環境の中に押し込められて、病状を悪化した一面もある、悲劇的であったと思います。
駿河療養所を見学させていただいた折、江口院長より、ハンセン病の医学的なことは、大体教えていただいた。
そして、ハンセン病の治療薬プロミンが発見されたにも拘らず、また、ハンセン病の医学的研究がすすみ、ハンセン病の進行、らい菌の特性、感染の経路などが解明されていったにも拘わらず、隔離施策が延々と現代まで続けられたことは、誤りの上にまた誤りの修正をし、一層複雑化したものと思われる。

この最近、ハンセン病違憲裁判のドキュメンタリー「開かれた扉」を読んだ。
そこには、私のハンセン病の認識をもう一歩超えるものが書かれていました。
和泉真蔵という医師、ハンセン病研究者が、1930年の文献から、ハンセン病に関する限り、隔離は不合理であると証言している。
ハンセン病は罹患しても誰もが発病するわけではない、発病しにくい病気、従って、隔離する意味がない伝染病であると証言している。
最近、歴史的検証が進んで、光田健輔を中心とする絶対隔離推進者とそれに反対をする、京都大学病院医師グループがあったようです。
1930年の文献というのは、京都大学の医師、小笠原登氏の「癩に関する三つの迷信」というものだと思う。
ハンセン病の臨床医師の立場から、ハンセン病と言う病気の、正しい見方をする医師がいたのである。にもかかわらず、そうした意見は打ち消され、絶対隔離政策が強行されてしまった。
現代でも、医学の世界では、臨床は軽んじられるところがある。研究畑の医師が医学会をリードしているのではないだろうか。光田は患者の死体解剖にたいへん執着しました。ライを絶滅させる、日本から、ライで苦しむ人のいない社会にするんだ、そのことにのみ目を向けて、患者に隔離されることに耐えるよう要求しました。患者の病状には目を向けませんでした。やはり、医療は患者の臨床が一番重んじられなければならないのだと思います。
患者をよく観察して、小笠原医師は、
  其の第一は癩は不治の疾患であると云ふ迷信である。
  第二は癩は遺伝病であると云ふ迷信である。
  予の研究室に於て治療の障碍になるもの、一は宗教的の迷信である。

と、ハンセン病は、決して恐れるに足る病気ではないことを発表している。治療薬、プロミンの発見以前から、ハンセン病は、恐れる病気ではなかったのである。ハンセン病の恐怖感は人為的につくられたものだったのである。
時代は、過去に引き戻ることは出来ないけれど、ハンセン病は、患者にとって言われなき不条理な歴史であったのだとつくづく思います。

              
                   錦江湾の夕日




       
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