「塀を築く」
 「祝福」に次のような記述がある。

「あの塀はMをぐるっととり巻いているのですね」
「そう、Mをとり巻いて全長八キロほどの長さになっている。最初Mに隔離されることになった患者たちは、まずMの建物を造るためと、自分たちをMに隔離するための塀を築くことに従事させられたのだ。Lのために泣く泣く故郷を出てきた患者たちは、皮肉なことにここにきて、自分を隔離するための塀を築くことから病気の治療が始められた。あの向こうの山から石を切り出してきて、その石を積み上げて、塀と建物は造られた。カクシンさんはそんななかで手や足を失い、儂の目も石切り場でとびはねた石があたってみえなくなったんだ」


『自分たちをMに隔離するための塀を築くことに従事させられたのだ。』
『自分を隔離するための塀を築くことから病気の治療が始められた。』

これは大変に意味が深い。
風見さんは、自身で、療養所に入院したいと希望し、長崎の自宅をでて、菊池恵楓園に入った。その後、鹿児島の星塚敬愛園に移られたわけだが、しかし、望郷の思いは、無理やり引っ張られて隔離させられた人と変らないのではないだろうか。
父親の葬儀にも帰らないでよいという連絡があったり、兄より帰省しないように言われたりしながら、故郷とは縁を切るように、切るように、自ら塀を積まなければならなかったことでしょう。
小説、「不在の街」は30年ぶりの帰省の様子が書かれている。結局、帰省しても、母親以外誰にも会わず、ひっそりと故郷を後にする話である。
隋筆集「季・時どき」には、故郷にまつわる話が非常に多い。
塀は、積んでも、積んでも、止みがたく故郷が思われるのでしょう。
しかし、現在、「らい予防法」は廃止され、この隔離は違憲であったということになった現在、塀は必要ないのではないか?
塀は、風見さんにとって、取り払われたのであろうか。
いま、風見さんは、この塀の取り払いに、努力されているように思う。私が拝観に行きました「二人点」も、その壁を払う、一つではなかったか。もちろん、こうした私との交流もそうでしょう。
「帰郷」で兄嫁から50年ぶりの便りがあった話を書きましたが、ご実家との塀も崩れつつあるのでしょう。
読売新聞の2003,5,10「人の世生きる」に風見さんがおおきく紹介されている。新聞に載った写真が、このHPの「風見治」にリンクした写真である。
新聞に「社会とのつながりを自分なりに探し当てた気がしている」と書かれている。
風見さんの著作は、今まで、塀の中の孤独と向きある形で創られたものだ。
しかし、今後は、それとはおおきく違うものになるであろう。
どんな、作品になるのか、私は、それがとても楽しみである。


        
          「ばら」風見治氏の油彩




      
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