多磨全生園の文学者たちの言葉
    ―花ひらいた文学―


北條民雄は、「踏み躙
(にじ)れ!野球も、印刷所の仕事も止めてしまえ。そして作品生活に這入るんだ。自己の生命の問題に関することのみに頭を使え。癩者の生命は短いんだ。彼らは腹を立てるだろう。義理も何も考えぬ男と自分を蔑むだろう。だがそれが何だ。それが何だ。」

東條耿一は、「私の詩作は負担である義務である。さうして私が私の義務を遂行し了はつた時、私は死ぬであらう。」

於泉信雄は、「「暗さ」を取り除くことのみ汲々としてはならない。余りに「光」を求むることのみ急であつてはならない。我等は深長なる考慮のもとに不断の思索を怠らず、慥かりと大地を踏みしめて、この現実を凝視しその中に自己の真の貌を発見してゆかなければならない。」

伊藤秋雄は、「静かに流れるやうな蘊蓄のある詩句を味ふ時、こころの奥までほのぼのとした温かみに覆はれるのは、何んと云ひやうのない心境に浸れるものである。私は一日のうちで、斯うした時刻ほど楽しく生き甲斐を感ずる時を知らない。」

氷上恵介は、「まずい詩を書き、絵を描き私の人生は築かれてゆく。人は徒労と笑ふかも知れぬ。然しその蓄積された中に私の死骸が発見されたら、これ以上の満足はない。」

田島康子は、「書けない理由など何もない」

盾木 犯は、「よりどなきこころのままにではあつたが、やはり、そのつきあたつたかべが、あつく、いたましかつただけに、そこからひろいとつたものは、かつてなく、えがたいものであつた。それは、いつたい、なにか。それは、これからのわたしのじんせいの、ひょうげんに、どんなかたちで、あらわれてくるか。」

光岡良二は、「自己合理化、云いわけは嫌いだ。何と日々夜々我々はそれに浮き身をやつす事か。そんな悪臭を剥ぎ捨てて生き、交わり書きたい。僕は裸だ。僕はこれだけのものだ。煮てなと焼いてなと食ってくれ。」

北見洋介は、「僕たち療養俳人は常に病という現実に対して、意識過剰になりがちである。確かに病という現実から僕たちの肉体を切り離すことは出来ないし、又この現実を離れて真にものを考えることは出来ない。・・・しかし、社会人としての自覚を喪失してしまい、レプラコンプレックス的な観念の所有者になってしまうと、一般社会の広大な俳句の主流に伍して行くことは難しい。」

葦川 晃は、「自分の生存している場を放棄して、いたずらに別世界のみに文学創造の場を求めてやまないとするならば、それはドンキ・ホーテの類に外なりません。真の文学たり得ない。」

国本昭夫は、「私達は見栄や趣味で詩を書いたのではない。又いたづらな感傷や泣く為の詩でもない。己が胸の空洞に吹きまくる風に寄せた詠嘆や泣訴でもなかった。人間の実在そのものの本質、恐怖であり、絶望であり、孤独であり、救い難き未来への戦いの告白であり、抵抗に他ならないのである。」

木谷花夫は、「余りに柔弱な淡い現実、余りにも小さな世界、そして余りにも人間的なるが故の、どうにもならぬ怒りと嘆きと明け暮れ、だがそのような病心に生まれた一つの真実、私はそれを育て、じっと抱き続けて、自らの生命を凝視して来た。」

 

上記のように、多磨全生園の文学者たちは言って、創作に励みました。